メールマガジン(35) | ソフトボールを愛する人にお届けするブログ

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ソフトボールがもっと上手になりたい、勝ちたい、テクニックが知りたい方に、カリスマたちの貴重な情報をお届けします。

あっと言う間の1周間でした。

そして8月になりました。

とっても暑いですが、体調に気をつけて
ソフトボールをやって下さいね。

それでは日曜日のメールマガジン紹介を
どうぞ。

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第31号のメニューはこちらです。

■昭和61年(その3)
■編集後記

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■昭和61年(その3)
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いろいろあった沖縄から帰った闘犬セン
ターの次の試合は、9月の日本リーグ
後節になりました。

この直前にあっと驚く発表がありました。

闘犬センターにニュージーランドから
選手が加入するというニュースでした。

一人はピッチャーのスティーブ・ジャク
ソン選手
で、この選手は1984年の世界選
手権の優勝投手です。

もう一人はマーク・ソレンソン選手で、
彼はキャッチャーで同じ世界選手権では
5番を打ち、その翌年のジュニアの世界
選手権でもキャプテンで4番という重責を
務める選手でした。

このすごい実績の持ち主が闘犬センター
に一時加入して、プレーをするというの
ですから驚きでした。

新聞には

「両選手の闘犬センター入りは、日本
 ソフトボール協会が、国際的レベル
 アップと競技の普及、振興のために
 今年から採用した外国人選手枠二人
 制に基づくもので、制度第一号選手
 となる。」


と紹介されていますが、この時は闘犬
センターのために創設された制度だっ
たと言ってもいいのではないでしょう
か。

現在は多くのチームに外国人選手が所属
して活躍されていますが、外国人選手を
導入するといった考えを実行した最初の
例になりました。

やり方には少々問題ありで、考え方と
実行力は先見の明ありといった事例では
なかったでしょうか。

この規格外の外国人選手を加えた闘犬
センターは、日本リーグ後節を迎える
ことになります。

エースに成長した西村投手に加えて
ジャクソン投手が投げる訳ですから、
相手チームもなかなか点を取ることが
出来ません。

特にジャクソン投手はシーズンオフの
調整不足でスピード感は、世界選手権の
時ほどのものは感じませんでしたが、そ
の変化球のキレと曲がる角度は日本では
見たこともないボールでした。

試合の合間などに変化球の投げ方などの
話もききましたが、日本人の筋力ではな
かなか同じよいうにやっても、同じ変化
はしないというのが、正直な感想でした。

まして彼らはそのパワーだけでソフトボ
ールをしているように見せておいて、実
は緻密な計算の上で戦術を作り上げてい
ることもわかりました。

ピッチャーなら相手のバッターが握りを
見て球種を狙っていると分かれば、わざ
と握りをみせておいて、投球動作中に握
り変えて別の変化球を投げるということ
までやっていました。

これでは日本が勝てるわけがありません
よね。

日本リーグでも同様でした。

まともに打球が前に飛ぶことがありませ
ん。

そしてこの二人のずるいところは、英語
の苦手な日本人をからかいながらソフト
ボールをやることでした。

二人で

「チェンジアップ・・・」

「NO.ファストボール・・・」

「NO.NO.チェンジアップ・・・」

とかなんとか会話しておいて、思いっき
り早いストレートを投げたりしていまし
た。

日本人の耳には

「チェンジアップ」

という言葉しか聞こえてきません。

それでなくても手も足も出ない状なのに
言葉でも翻弄されるんです。

打てるわけがありませんよね(笑)

私はジャクソン投手と同い年ということ
もありましたし、この二人のやり取りを
一塁から聞いていましたので、二人に

「ウソを言うな!」

と言ってやりましたけど、二人は笑って
いました。

結局後節6試合を完封して、最終成績が
11勝1敗でダントツの成績を収め、
日本リーグ3連覇を成し遂げます。

2位の日本デンソーが6勝でしたから、
ちょっととびぬけた成績でした。

ジャクソン投手にはご褒美として、
最高殊勲選手賞が送られました。

これも出来レースです(笑)

二人は9月25日高知市で中学生と高校
生とその指導者200名を集めた講習会
にも参加してくれて、世界の技術のすご
さを紹介してくれています。

そしてこの最強の助っ人とともに山口県
防府市で開催された第32回全日本一般
男子ソフトボール大会に出場します。

まあ、負けることはないよねって感じで
の参戦でしたが、勝負はやってみないと
分からないものですね。

初戦は鹿児島の「阿多病院」でした。

聞いたこともないチームでしたし、見た
感じでも大したことがないって感じでし
たので、普通にやればなんてことはない
と思っていました。

そう思うと普通じゃないんですね。

なめてかかっているんです。

いつでも点は取れるだろう、誰かが打っ
てくれるだろうというだらだらした試合
になってしまいました。

ピッチャーは西村投手からジャクソン投
手への継投で、阿多病院さんは全くチャ
ンスらしいチャンスもなく試合は進んで
いきました。

ただ、闘犬センターも決定打が出ずに、
0-0で延長戦に入り、それでも点が
入らなかったためにタイブレークに突入
してしまいました。

これで阿多病院さんにチャンスが生まれ
ます。

ヒットが出ないのでランナーが出なかっ
たのですが、タイブレークです。

スコアリングポジションにランナーがい
るんです。

彼らはここで勝負に出ます。

なかなかジャクソン投手からタイムリー
ヒットは打てないとふんだ阿多病院さん
は、

「盗塁」

という奇策を仕掛けてきました。

これが大正解でした。

慌てたマーク選手が三塁に悪送球、ボー
ルがレフト方向にてんてんとする間にラ
ンナーがホームインして、待望の先取点
をあげることに成功します。

もうもうなったらこの変な流れを変える
ことは出来ませんでした。

その裏の攻撃でも、外野フライ1本打て
ば同点になって、その後はいずれこちら
が勝てることは分かっているのに、その
外野フライが打てない、そして0-1で
初戦敗退になってしまいました。

「驕る平家は久しからず。」

でしょうか?

神様はちゃんと罰を与えてくださいまし
た。

絶対なんてことはどこにもないというこ
とを、教えられた出来事でした。

ジャクソン投手とマーク選手はこの試合
を終えて帰国しますが、この二人の来日
のお返しに闘犬センターから西村投手が
ニュージーランドに修行に行きました。

この修行が西村投手を「闘犬センターの
エース」から「日本の大エース」へと
変貌させることになるわけですから、こ
の二人の来日は大きな影響力を持つ出来
事になりました。

このことは機会を改めて詳しくご紹介し
たいと思います。

さて、屈辱の初戦敗退を経験した闘犬セ
ンターは、このシーズン最後の戦いに
臨みます。

11月大阪球場で開催された第15回
日本選手権です。

1回戦日本体育大学を2-0、
準決勝金沢教員も2-0
決勝戦でトヨタ自動車2-0

と3戦連続完封して、日本選手権2連覇
を果たしてこのシーズンを終えることに
なりました。

一般男子の敗退も良い教訓にして、全員
集中して気合の入った大会になりました。

「終わりよければ全てよし」

かもしれませんが、4冠独占して当たり
前だっただけに、一般男子の初戦敗退が
惜しまれて仕方ない昭和61年になって
しまいました。

今回はここまでにしますね。

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西村とジャクソンが投げて負けるんです
から、試合なんてやってみないと分から
ないものなんですよ(笑)

最後まで諦めない。

これが大事です!

写真は日本選手権の決勝戦の時のもの
です。

西村投手と決勝戦で2得点と全得点の
ホームを踏んだ私です。