メールマガジン(34) | ソフトボールを愛する人にお届けするブログ

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ソフトボールがもっと上手になりたい、勝ちたい、テクニックが知りたい方に、カリスマたちの貴重な情報をお届けします。

1泊2日の東京出張から帰ってきまし
た。

今回は地下鉄の出口を間違えて、目的
地になかなか辿り着かないことが何回
もあったり、高知よりすごく暑い気温
でシャツが汗でビショビショになって、
それが乾いて塩になっていたりと、元
気な私もさすがに少し疲れました。

年を取っていくと東京は疲れますね。

高知だとすぐ「車」になるんですが、
移動は「電車」ですし、その間をよく
歩きます。

帰ってきたらメールは溜まっているし、
それを整理していたらブログを書く
元気はなくなってしまいました。

困った時の「メールマガジン」です
が、沖縄の出来事を続けて読んでみて
下さい。

「闘犬センターも大変だったんだな」

と、誰か一人でも言っていただけると、
私たちの心も救われます(笑)

それでは、どうぞ!

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第30号のメニューはこちらです。

■昭和61年(その2)
■編集後記

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■昭和61年(その2)
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沖縄入りから大事件発生のクラブ大会は、
開会式以降も数々の事件を引き起こした
大会になりました。

試合の方は優勝で終わっていますが、
あまりにも大会期間中に起こったことの
方が記憶に残ってしまっていて、試合内
容などの記憶がほとんどありません(笑)

まず最初の事件はこれでした。

試合の合間に青山選手が、大会本部の近
くを歩いていました。

頭にタオルを巻いていたそうです。

けれど、これはいつものことでした。

そうすると、大会本部のテントから大き
な怒鳴り声が聞こえてこました。

「ワシが大会会長で来ているのに、挨拶
 がない!」


「何なその恰好は!」

「みっともない!」

私達全員

「ぽっか~ん?????」

でした。

「挨拶がない。」?????

今までしたこともなければ、そうしろと
言われたこともないじゃん!

「何な、その恰好は。」

「普段通りですけど!」

行儀の良くないことがあなたの自慢じゃ
なかったですっけ?

もう訳が分かりません。

初の日本ソフトボール協会会長として、
大会会長を務めるので緊張してたかどう
かは知りませんが、この八つ当たりには
我慢なりませんでした。

この時コーチをしていた松田純夫さんは

「帰ったら辞める。」

と言い出し、その言葉とおり辞めてしま
うことになります。

これからが面倒なんです。

その場の気持ちの高ぶりで怒鳴った後は、
必ず機嫌取りが始まります。

これは予想されたことでした。

会長の宿舎は万座ビーチホテル、私達は
距離はそう離れてはいませんでしたが、

「白雲荘」という国民宿舎みたいな所に
宿泊していました。

今の沖縄はすごく発展していて、高知な
んかよりいろいろなお店がありますが、
当時の沖縄はまだまだでしたし、恩納村
でしたから白雲荘の周りには何もないと
言ったほうがいいくらいでした。

万座ビーチホテルは現在ANAインターコン
チネンタル万座リゾートになり、白雲荘
はもうありません。

白雲荘の晩ご飯はバーベキュー方式で、
豪華ではありませんでしたが、十分な
ボリュームがありました。

オーナーと離れている解放感もありまし
たので、ゆっくりしていました。

晩ごはんを食べているところに1本の電話
が入ります。

「幹部集合。」


「来た来た、機嫌取りが始まったぞ。」

でした。

ただこれも、私には気に入らないやり方
でした。

機嫌を取るなら全員にやれと思っていまし
たので、イライラしながらタクシーに乗っ
て、万座ビーチホテルに行きました。

敵もプライドがありますので、

「今日はすまんかったのう。」

とは言いません。
言えない性格なんです(笑)

ですから、やることは自分の今の立場を
それとなく説明して、

「お前たちが分かれ。」

なんですね。

部屋の自慢、日本ソフトボール協会の
スタッフが秘書みたいに付いていること
などを説明していました。

分かってはいましたが、その一つ一つが
気に入りませんでした。

そうしていた時に、洗面所にあるドライ
ヤーが目に入りました。

小型の可愛らしいドライヤーでしたので、
思わず、

「このドライヤー、社長にぴったり
 やね。」


と言ってしまっていました。

オーナーの髪の毛は少々少なかったんで
すね(笑)

一緒に行っていたメンバーは

「やった!」

みたいな顔です(笑)

オーナーは特に気にしたような素振りは
なかったですが、ずっと後になってから、

「山崎は嫌みを言うきねや。」

と言われたことがあります。

その時気づきました。

「あのドライヤー発言、気にしちょった
 がや。」


(笑)(笑)(笑)

してやったりですよね!

で、晩ご飯の途中で呼び出された私たち
に食事を食べさせながら、

「優勝したら、全員ここでご飯たべさせ
 るき。」


やっと本当の目的の機嫌取りの発表でし
た。

本当に困った人です。

で優勝したあと、全員そろってお招きに
あずかり豪華な食事になった訳ですが、
まあこれもいつもやつで、

「これ美味いろうが。」

「これも食べろ。」

「このエビすごいろう。」

自由に好きな物を食べさせてくれる雰囲
気はどこにもありませんでした(笑)

こんな感じで終わった全日本クラブ男子
ソフトボール大会でしたが、帰路は特に
大きな事件が起こることもなく、無事に
高知に帰ってきました。

ただ、翌年の沖縄国体ではこんな事件な
どどうでもいいくらい大きな事件を巻き
起こすことになるとは、この時想像もし
ていませんでした。

ひょっとするとオーナーは、翌年の国体
のことまで考えていて、普段以上に
イライラしていたのかなあと、今は思え
るようになっています。

今回はここまでにしますね。

次号も昭和61年のシーズンの続きを
振り返ります。

また、日本で最初の試みを闘犬センター
が行っていますので、お楽しみにして
ください。

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髪の少なさを証明する写真を探してみま
した(笑)



何も細工していませんよ。
ただ分かりやすい写真を選んでみました。

今日はこれで許して下さい。