お送りします。
昭和61年のシーズンのご紹介です
が、この年も事件がいっぱいでした。
こんなことが私たちの周りでは、日常
茶飯事で起こっていました(笑)
それでは、どうぞ御覧ください。
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第29号のメニューはこちらです。
■昭和61年
■編集後記
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■昭和61年
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昭和61年も3年連続受賞になった
「高新スポーツ賞」
の横顔紹介記事から始まりました。
団体としては初の3年連続受賞だった
そうです。
この時一緒に団体で受賞しているのが
「伊野商業高校野球部」で春の選抜で
優勝したことで受賞しています。
後に西武ライオンズで活躍した
「渡辺智男投手」
が「清原選手」から三振を取った場面
がよみがえりますね。
そんな時代の話になります。
記事の中では闘犬センターの型破りな
やり方が紹介されています。
「周知のとおりのクラブチーム。職場、
職域はバラバラ。週二回の夜間練習
にも全員がそろうことはまずない。」
「視察に来た県外の実業団チームが驚
き、あきれ、参考にらなぬと帰って
しまう。」ほどの練習環境だ。
「そんな『草ソフトのチーム』が日本
男子ソフトボール史上未踏の快挙を
やってのける。」
「うちは遠征に行ってもミーティング
なしの、門限なし。調整はすべて当
人任せで、オーダーも申告制。」
「連日3~4時間、綿密な計画練習で
チームを作り、万全の状態で大会に
臨んでくる実業団、大学チームの
『管理ソフト』とは全くの逆を行く。」
「管理された練習で一人ひとりの選手
にやる気が生まれるかどうか。練習
時間は長いけれど、試合で一番大切
な集中力が出てこないと思うのだけ
ど。」と、自身実業団で長くやって
きた杉本監督。
「ウチはみんなが一国一城の主なんで
す。個性のきつい選手が多い。こっ
ちは何にも言わないけれど、成果を
上げないと格好の悪いのは自分自身
だから、それぞれ必死ですよ。」
勝てるようになると、何でも良く受け
取ってもらえるようになるみたいです
ね(笑)
この年から日本リーグに「トヨタ自動
車」が加入してきましたし、また新た
な挑戦をすると結んで、1年が始まり
ました。
日本リーグから戦いが始まりましたが、
この年から「日本電装(現デンソー)」
のエースだった「今西投手」が闘犬セ
ンターに移籍しています。
第一節では今西-西村の継投や、高石-
西村の継投など、ちょっと変わった戦
い方をしていますね。
トヨタ自動車戦では、これもこの年か
ら「トヨタ自動車」を退社して闘犬セ
ンターに移籍してきた「西川選手」が
4番打者として活躍。
新戦力も入って戦力充実かと思わせま
すが、深見、田中雄二、大館、平松と
4人もの主力が不参加の大会でしたの
で、内情は大変でした。
7月沖縄で開催された第7回全日本ク
ラブ男子ソフトボール大会に参加した
闘犬センターは決勝戦で2年連続「山
梨クラブ」と対戦して2-0で勝って、
2年連続5回目の優勝を飾っています。
大会は優勝で終わって良かった、良か
ったでしたが、この沖縄行は行きの
大阪空港から大会期間中まで、いろいろ
なことがあった大会でした。
まず大阪空港での出来事です。
このクラブ大会は男女同時開催で、翌
年の沖縄国体のリハーサル大会として
開催されたものでした。
そのために輸送のリハーサルも兼ねて
いましたので、大阪空港からかなりの
チームが同じ飛行機で移動するという
形を取っていました。
闘犬センターもそのスケジュール通り
高知空港から大阪空港を経由して沖縄
入りの予定でした。
これに大会会長として沖縄入りするオ
ーナーも同行していました。
大阪空港に到着して、沖縄行の飛行機
の乗り換えを待っていた時のことです。
乗る予定だった日本航空のアナウンス
があって、5名の人が呼び出されまし
た。
その中に「弘瀬 勝様」の名前があり
ました。
「ありゃ、呼ばれたぜよ。」
「何じゃろうのう?」
この時は上機嫌でカウンターの方に行
ったんですね。
少しするとカウンターの方から、聞き
覚えのある大きな怒鳴り声が聞こえて
きました。
「なぜワシが乗り換えないかんがな!」
「ワシは日本ソフトボール協会の会長で
日本体育協会の国体委員ぞ!」
何が気に入らなかったのかは分かりませ
んが、怒り始めたら誰も止めることが出
来ないのがこの人です。
この時は日本ソフトボール協会から、日
本体育協会に連絡して、日体協が乗り換
える予定の「全日空」に連絡、全日空の
係員が迎えに来ない限り動かないと言い
だしました。
この突拍子もない言い分に、現場は大混
乱です。
連絡もうまくとれず、全日空からのお迎
えはなかなか来ません(笑)
オーナーが動きませんから、私達も当然
動くことは出来ません。
勝手に動くと、とばっちりがこっちに来
てしまうことは、長年の経験で分かって
いましたので、オーナーの指示があるま
では、待合室で待機です。
新人の上田卓也選手は初めてのことです
ので、
「大丈夫ですか?」
「どうしたらいいですか?」
と心配そうに何度も聞いてきていましたが、
「ええわや、行け言うたら行ったらええが
やし、行けんかったらそれまでのこと。」
「オーナーが原因で行けんがやき、それで
ええが。」
と落ち着くように言い聞かせていました
(笑)
やっとのことでお迎えの係の方が来られ
て、ホットしたと思ったら何と私たちも
一緒に全日空に移動となっていました。
「おいおい!」
でした。
この間1時間弱くらいだったでしょうか。
日本航空も全日空も飛ぶことが出来ず、
この二便で沖縄に行く予定だったお客様
は、全員訳もわからないまま待たされて
いたんですね。
実際出発予定時間から何分遅れていたか
は分かりませんが、相当ご迷惑をおかけ
していたことは間違いありません。
全日空の搭乗口に到着、機内に乗り込み
ますが、その待たされていた方々の目線
の冷たいこと。
遅れたのはこいつ達のせいかと言いたげ
な冷たい視線でした。
大きな声で
「私たちのせいではないんです。」
「弘瀬 勝のせいなんです。」
と言いたいくらいでした。
お客様の中には那覇から乗り換えで
他の島に行かれる予定の方もいらっしゃ
ったでしょうし、イライラされていたと
思います。
本当にご迷惑をお掛けしました。
たった一人のわがままが、日本航空と
全日空の飛行機を止めてしまったという
前代未聞の出来事でした。
那覇空港に到着すると、そこには満面の
笑顔のオーナーがいました。
「ワシは迎えが来ちゅうき、お前らはバス
で行け。」
でした。
あれだけ大阪空港で暴れていますので、
那覇空港は厳戒態勢で日本ソフトボー
ル協会会長をお出向かえをしていました。
たぶん全日空の沖縄支店長くらいが対応
していたんだろうと思いますが、その丁
重なお出迎えを見た瞬間にオーナーのご
機嫌は絶好調になっていました。
この大事件から始まったクラブ大会は、
この後も数々のトラブルを引き起こしま
す。
全てはこの年から日本ソフトボール協会の
会長に就任し、この大会の大会会長として
沖縄入りしたオーナーが原因でした。
初ものづくしで緊張感もあったのかもしれ
ませんが、迷惑な話でした。
長くなりましたので、今日はここまでにし
て次回続きをお届けしますね。
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すごいでしょう(笑)
たった一人のわがままで、日本航空も
全日本も止めてしまうなんて・・・
文中にありました、このシーズンから
闘犬センターでプレーすることになった
「今西君」から先日突然連絡がありまし
た。
「全日本実年で高知に行きます。」
「休みを多くもらったので、早く負け
たら、柏島に行って魚を突いて、貝
も取って来ます。」
さすが地元の漁師も一目置くほどの潜り
の名人だった今西君です(笑)
試合なんかどうでもいいので、そのまま
海に潜って魚をいっぱい取って来なさい。
杉本さんに報告してしまったので、
「魚ありません。」
では済みませんからね!

今もこんなダイナミックなフォームで
投げているなら、見てみたいような
気もしますが、やっぱり魚がいいな!

高新スポーツ賞の横顔紹介記事に
なります。