海外遠征(5) | ソフトボールを愛する人にお届けするブログ

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1986年のサイパンパシフィック大会
の写真です。

この時の「日本代表チーム」の構成は

団長日本ソフトボール協会会長弘瀬 勝

副団長日本ソフトボール協会専務理事
黒木 幹夫

総監督兼総務日本ソフトボール協会
強化委員長岡 賢

監督 闘犬センター監督 杉本 博司

ヘッドコーチ 沼津学園 梶原 恒利

選手は闘犬センターから西村、高石、
山崎 正宏、西川、家竹の5名

高知教員から弘瀬拓生、田中雄二

山梨クラブから北、櫻井

滋賀教員から西村 高司

横浜教員から浜田 晃

群馬教員から大木 正

明和クラブから中津 数務

といったメンバーでした。

明らかに会長の意のままに選抜された

「日本代表チーム」でした。

この頃には日本ソフトボール協会内に
弘瀬会長に表立って反旗を翻すようなこ
とが出来る人間は存在していなかったと
思います。

会長の言う通り、会長の機嫌を損ねるこ
とのないようにとしている人たちばかり
でしたが、ほとんどの理事の方は弘瀬会
長が日本ソフトボール協会に乗り込んで
くる何年、いや何十年も前から日本ソフ
トボール協会に関わって来ていた方たち
ばかりでしたので、突然現れてあっとい
う間に会長に就任した弘瀬会長を快く
思っていなかった方も多かったと思いま
す。

ただこの弘瀬 勝という人間のやり方、
行動力には圧倒されてしまって、どうに
もならなかったということじゃなかった
でしょうか。

言い方を変えると、

「訳が分からないうちに、こうなって
 しまっていた。」


ということでしょう(笑)



そしてこの会長に影のように寄り添い、
あっちに行ってフォローし、こっちに
行って調整して、話をまとめていたのが
この優勝トロフィーを持っている

「杉本さん」

です。

杉本さんがその当時の裏話を書き出した
ら、私の昔話などより何十倍も危険な話
が飛び出してきそうですね。

「やめてくれ~」

って悲鳴をあげそうな役員経験者も多い
かもしれません。

それでなんでしょうか、全国大会の監督
主将会議なんかに杉本さんが顔を出すと、
会議そっちのけで役員のお歴々が杉本さ
んの周りに集まってきていたのは。

おかしな風景でしたけどね(笑)

私はよく杉本さんに

「お杉ちゃん、あんた何者?」

って聞いてました。

そんな口の聞き方するお前も何者なんだ
って話しかな(笑)

今日はここまでにしますね。