
日本選手権(総合選手権と呼んでいた
頃もありました。)の優勝の時に
朝日新聞社からいただいたトロフィー
になります。
錆びて時代の流れを感じさせますね。
闘犬センターはご存知の通り、マナー
の良いチームではありませんでした。
これについてはどのような言い訳をし
ても、否定できない事実です。
口汚い野次も多かったですし、スポー
ツマンシップのかけらも感じらない
振る舞いもありました。
これはいくら強かったとはいえ、これか
らは二度とあのようなチームは出てきて
はいけないと思っています。
ですから私のこのブログを読んで不愉快
に思われている方もいらっしゃることで
しょう。
このブログは闘犬センターを美化しよう
とかという思いで書いているわけではな
くて、忘れ去られる前に、そして自分た
ちも忘れてしまう前に、何かの形で記録
を残しておこうと思って始めました。
ただどうしても自分たちの立場からの
振り返りになりますから、その一つ一つ
の事実のとらえ方が、自分たちよりの
都合の良い形で表現されてしまうことは
ご了承いただきたいと思います。
さて、闘犬センターも長く活躍していま
すと、その活動の中でマスコミに取り上
げられることも何回かありました。
西村選手は顔は出ていせんが、コカコー
ラのコマーシャルにピッチングフォーム
で出演しています。
ニュースのスポーツコーナーで紹介され
たこともありました。
そのほかには島田伸介さんの司会の番組
「ハートに聞け」で30分番組になった
こともありました。
面白くなければいけないので、ちょっと
誇張があったり、尾ひれがついたりして
はいましたが、本質的には闘犬センター
を表現してもらっていました。
「普通じゃない。」
「強い。」
「変わり者の集まり。」
でしょうか(笑)
これは事前の打ち合わせで練習風景と
インタビューと、試合の映像で構成され
ること、
試合は負けてもそのまま使用するという
ことになっていました。
日本リーグの「日新製鋼」戦がこの試合
になりました。
事前に協会と相手チームにお話しをして
の試合の撮影になりましたが、スポーツ
中継ではありませんでしたので、試合中
にグランド内にカメラが入って撮影をす
るというおかしな試合になりました。
たぶんみんなそれは駄目だろうと思って
いたんでしょうけど、その当時闘犬セン
ターのやることに、そんな事を言える人
はいませんでしたね。
当事者の私たちが
「ん???、それ大丈夫?????」
って思ったくらいズカズカ試合中の選手
の近くでカメラを回していましたので。
試合はどうなったというと、当然よそ行
きの試合をしようとした闘犬センターが
負けてしまいます。
田舎者の素人が眼の前でテレビカカメラ
を回されて、普段通りのことが出来る訳
がありませんよね(笑)
緊張しますし、この映像が全国に流され
ると思うと、野次を飛ばす勇気のある
選手なんかいるわけもありません。
無抵抗のまま敗戦(笑)
相手チームの日新製鋼にしたら、
「ざまあ見ろ!」
だったと思います。
闘犬センターが週刊現代に大きく取り上
げられたことがありました。
電車の中づり広告に
「闘犬センター・落ちこぼれ軍団・荒
くれ 者の集まり」
みたいな文字が大きく踊っていました。
私は当時神奈川県の鍼灸の専門学校に行
っていましたので、学校に行ったら同級
生に、
「山崎さん、電車の中に闘犬センター
って書いてましたよ。」
って言われました。
帰りの電車で探してみたら、週刊現代の
中づり広告にその文字が大きく書かれて
いました。
これには伏線がありました。
日本選手権のことでした。
大阪球場が閉鎖になって、日本選手権の
開催な所は愛知県に移っていて、一つの
ホテルに全チームが泊まっていました。
この年の大学の代表チームはW大学でし
た。
これまで日本選手権に出場してきたチー
ムは日本体育大学、国士舘大学、東海
大学などでしたので、それこそ闘犬セン
ターの横を通ることもはばかられるよう
な姿勢が普通でしたし、万が一その場に
居合わせた場合には挨拶して逃げるよう
な感じでした。
ところがこのW大学の皆さんは違ってお
られました(笑)
体育系の大学でないこともあったんだろ
と思いますが、朝食会場ですれ違っても
挨拶もありません。
まあ挨拶しなければいけないということ
もないですし、私たちも決してマナーが
良いわけでもなかったのですが、
「あいつら、行儀悪いねや!」
という印象でした。
その大会でそのW大学と対戦します。
実業団チームは勿論、大学生のチームな
どは先輩から聞いているのか評判を聞い
ているのか、闘犬センター相手に野次を
飛ばすチームはほぼなくなっていた時代
でした。
一言言うと十倍くらい返ってきて、ボコ
ボコにされてしまうことが分かっていた
からです。
「知らないと言うことは強い。」
ですね。
このW大学は違っていました。
私がバントを失敗した時などは、ベンチ
の上の登録外の学生が野次ってきました。
レギュラーでもないベンチにさえ入るこ
とができない奴に野次られるなんて(笑)
普段なら相手しないんですが、
「行儀が悪い。」
と思っていたこともあったんでしょう。
思わず、
「ベンチにも入れん奴が、黙っちょけ!」
と怒鳴っていました。
大人げないことです(反省)
これが原因じゃないとは思いますが、この
あと週刊誌を騒がせるきっかけとなる
事件(事故?)が発生します。
闘犬センター勢はこの行儀の悪い大学生に
イライラしながら、試合をしていました。
私が一塁ランラーでいて、セカンドゴロが
転がりました。
「あーあ、ケッツーか。」
と思いながらセカンドベースに走っていま
したが、一応スライディングはしておこう
と滑った瞬間のことでした。
「バーン」
何かが顔面に当たりました。
何が起こったかわかりませんし、特に痛み
も感じなかったのですが、その場に倒れこ
んでいました。
なんと一塁にボールを転送しようとした
W大学の遊撃手の投げたボールが私の眉間
を直撃していたのです。
見ていた人に言わすと、顔に向けて(下
方向に)投げたという人もいました。
人として、人間の顔に向かってボールを投
げられる人はいないと私は思っていますの
で、たまたまそうなったんだろうと思いま
すが、当った場所が眉間のど真ん中だった
んで、今このようにブログを書けています
が、ちょっと下だったら
「鼻骨骨折」でしたし、
左右にそれていたら
「眼球破裂」でした。
当たり所が悪ければ、仕事は休まなければ
いけなかったでしょうし、その後の人生に
おいて、大きなハンディキャップを背負う
ことになっていたかもしれないプレーでし
た。
何で私はここに倒れているんだろう?
何でみんなが集まって騒いでいるんだろ
う?
と考えているうちに、
「そうか、ボールが当たったんだ。」
と分かりました。
痛みはそうなかったので立ち上がり、
ふらつくようなこともなかったのでベン
チに帰りました。
その後鼻血が出てきて、試合が中断した
りしながら闘犬センターの勝利で試合は
終わりました。
その試合後に事件は起こっていました。
この時記録長としてこの大会に派遣され
ていた高知県協会のO崎という人が、W大
学のY監督を吊し上げたらしいのです。
「謝罪はないがか?」
言いたかったことはこれだけだったと思
うんですが、言い方が大学教授には脅迫
にでも聞こえてしまったんでしょうね。
これは私の知らないところで行われてい
ました。
確かに相手の選手からも、監督からも
謝罪の言葉を聞いた記憶はありません。
あとで分かったことですが、ベンチに
帰る途中で
「大丈夫?」
って声をかけられて
「大丈夫。」
って答えた記憶はあります。ただそれは
私は杉本さんに聞かれたと思って返事を
しました。
どうもそれがY監督だったみたいです。
O崎さんとY監督のやり取りの中にこの
内容がありました。
「大丈夫って言っていた。」
だそうです。
けど、謝りましょうよ。
闘犬センターでも、デッドボールを当て
たら謝りますよ。
故意ではなかったとしても、顔面ですよ。
監督が選手を連れて来て、謝るのが普通
ですよね。
ガラの悪い私達の常識でもこれは謝罪に
値する行為だと思います。
ところがこの監督さんのとった行為は
違っていました。
試合後に脅迫まがいの抗議を受けたY監
督は、最初週刊現代に投書みたいな感じ
で、このような行為があったという記事
を載せます。
内容はきちんと覚えていませんが、自分
の受けた脅迫まがいの行為を書き、相手
はやくざまがいの言葉使いと圧力で謝罪
を要求してきたみたいな記事だったと
思います。
ただその記事を読むとそれをしたのが
闘犬センターになってしまっていました
し、自分の都合の良い事ばかり書かれて
いて憤慨していました。
闘犬センターとしては、そして当事者の
私としては謝罪も受けていませんし、抗
議もしていません。
これが事実です。
そしてこの投書がきっかけで、紹介した
「ならず者集団、落ちこぼれ軍団」
のような特集記事になって行きます。
グランドの中では時に
「ならずもの集団」
であったことは否定しませんが、社会に
出れば、公務員もいましたし、教員も
会社員もいました。
メンバーはみんなそれぞれ社会人として
生活をしながらソフトボールをしていま
した。
決して犯罪者の集団ではありません。
ちょっと変わっていたり、エリートじゃ
なかっただけのことだと思います。
強かったということで「謙虚さ」を
忘れていたことは反省です。
でもそれは今振り返ってみて分かること
なので、もう遅いですけどね。
みなさん、横暴な振る舞いの数々申し訳
ありませんでした。
今日はここまでにしますね。