
闘犬センターに「日本一」を名乗る資格
があったのか?
実績で言うと間違いなくあったと思いま
す。
これからもあのような圧倒的な勝率と
優勝回数を重ねるチームは、もう出て
来ないのではないかと思います。
あれくらい飛ぶボールと飛ぶバットに
なってしまうと、ゲームがどちらに転ぶ
かやってみないと分からない、実力の
拮抗した戦いが続いくのではないでしょ
うか。
時代も良かったということもありますね。
では闘犬センターが「日本一」にふさわ
しいチームだったかというと、それには
いくつもの疑問があります。
プレースタイル、スポーツマンシップ、
批判されてもしかたのないブラックな
部分をたくさんもちあわせていたのが
闘犬センターでした。
昨日もご紹介したオーナーの口癖、
「バカと利口がケンカしたら、バカが
勝つ。」
最初の頃の全国での戦い方はいかにも
これだったと言えます。
試合がどうのような展開になろうとも、
まあうるさい(笑)
やっている相手が
「こいつら、おかしい。」
と思ってしまうほどのファイトを前面に
押し出した試合のやり方でした。
敵味方に関わらず声が出る(これが後の
野次に繋がっていくわけですが。)、
試合展開が不利になっても、その勢いは
衰えることがありませんでした。
「普通じゃなかった。」
「普通のやり方では勝てなかった。」
時代のお話です。
チーム結成時の評判(オーナーがお金で
選手を集めてきたと言われてきた。)か
ら、闘犬センターの県内での評判は芳し
いものではありまあせんでした。
はっきり
「闘犬は嫌い!」
という方は今もいらっしゃると思います。
その評判を覆すために闘犬センターは
「勝つ」
しかなかったんですね。
勝って勝って、勝ち続けて
「闘犬は強い。」
ということで、少しづつ評判を上げて行
くしかありませんでした。
それが口汚い野次になったり、時には
凄く調子が良くて打てない感じのピッチ
ャーに対しては、お願いもしたりしまし
た。
代表的なピッチャーは山形県庁の大村投
手ではないでしょうか。
彼が絶好調の時は西村投手とは違う速く
て重い「剛球」が、コントロール良く投
げ込まれてきました。
これは今日は打てないとなると、
「大村さん、打てませんから真ん中を
お願いします。」
とか
「フォアボールお願いします。」
などとお願いをしながら、大村投手のち
ょっとした心のすきを作って反撃のチャ
ンスを待ったりしたものでした。
それだけ絶好調の大村投手は難敵でした。
なりふり構わないとはこのことでしょう
か。
なんとかして勝つチャンスを掴む、この
感覚は当時の選手にしかなかったものか
もしれません。
やり方なんかどうでもよくって
「勝つ」ことに執着したやり方でした。
オーナーからも行儀の良さを求められた
ことは有りませんでした。
まだ大阪球場で日本選手権が開催されて
いた頃のお話しです。
宿泊は江坂のサニーストンホテルでした。
当時に江坂は何もなくて、ホテルの前に
割烹が1軒ありました。
最初の頃は私達選手もそこで夕食をいた
だくこともありましたが、オーナーが
日本ソフトボール協会の会長に就任した
頃から扱いが変わってきました。
行儀の良い女子チームがお気に入りに
なったんですね(笑)
その時は東京女子体育大学が日本選手権
に出場していて、闘犬センターはホテル
で夕食、東京女子体育大学はオーナーと
一緒に割烹で夕食ということになりまし
た。
「まあまあ、お盛んでよろしいこと。」
と思いながらホテルで食事をしていたら
オーナーから
「ちょっと来い。」
との呼び出しがありました。
「お前らあも、何か食べろ。」
です。
もうホテルで食事を済ませてきている
ので、何かつまみ程度のものを頼んで
ビールを飲んだりしていました。
「ここの店すごいぞ、ワシのこと覚え
ちょった。」
何か自慢げに言うので、イラッとしたの
で、
「毎年来て、何日もいけすを空にするよ
うな頼み方しよったら、誰でも覚える
ろう。」
と言っていました(笑)
これが面倒臭くなると
「お前ら、遊びに行くがやろうが。」
「早う行けや。」
と言って追い出されました。
それなら呼ぶな!です。
「こいつら行儀悪いろう、試合前に
これから遊びに行くがぞ。」
と女の子たちに話しをするわけです。
だから私達は行儀が悪いことを求めらて
いる時もありました(笑)
「ワシは大変、こんな行儀の悪い連中の
チームのオーナーで。」
と行儀の良い女の子たちに言いたかった
だけのために、呼び出され、そして遊び
に行かされる。
やってられるかという怒りを、試合に
ぶつけたこともっあったと思いいます。
まあ、現実に行儀は悪かったんですけど
ね。
繰り返しになりますが、日本一にふさわ
しいチームであったかと聞かれれば、
やはり、
???????
と疑問符が多く並んでしまいます。
勝つことが強いという思い違いと、
若さゆえの勘違いもあり、傲慢、
横暴な振る舞い、今振り返ってみると
恥ずかしい行いもしてきてしまいました。
選手全員が西村選手のような本物の実力
の持ち主であったなら、誰もが認める
「名実共に日本一」
のチームだったんだと思います。
そのことは西村選手が今
「全日本の監督」
をしていることが証明していると思いま
す。
欠点の多いものが頑張って手にした
「日本一」には、どこかに
無理があったということではないでしょ
うか。
今日はここまでにしますね。