月日のたつのは早いものです。
またまたいろいろなことがあった、世界
選手権の模様をご紹介しましょう。
それではどうぞ。
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第24号のメニューはこちらです。
■昭和59年(その4)
■編集後記
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■昭和59年(その4)
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世界選手権のお話をしましょう。
アメリカ合衆国ミシガン州ミッドランド
で開催された第6回世界男子ソフトボー
ル選手権に参加するため、成田空港を
出発した選手団はシアトルを経由して
シカゴに到着します。
シカゴでバスに乗り換えた私たちは、
事前合宿地であるオーロラという町に
移動しました。
この町は日米加親善ソフトボール大会で
来日したことのある、ホームセービング
スというチームのホームタウンでした。
ホームセービングスというチームは
高知にも来ましたので、少しだけ親近感
もありました。
私たちの宿泊は小さなホテルでしたが、
プールがあったりと施設的には全く問題
もなく快適に過ごすことができました。
到着当日は時差ボケ解消のために軽めに
体を動かす程度の練習でした。
翌日から地元のチームとの練習試合が
組まれていましたので、私たちはいきな
り全開で試合をすることになります。
思い返しても(特に初参加組は)一生懸
命だったと思います。
アメリカ側も気をつかってくれたんだと
思いますが、対戦相手はあまり強いチー
ムではありませんでした。
全日本チームに自信をなくさせてはいけ
ないとの配慮だったのかもしれません。
そんなことはお構いなしに、全日本チー
ムはありとあらゆる戦法で勝ちに行きま
した。
内野の守備が緩慢だとみるとセイフティ
ーバンドでかき回します。
たぶん地元のソフトボール大会では、こ
のような攻撃をするチームはなかったん
だろうと思います。
連日のバンド攻撃に困った練習相手から
「バントは止めてくれ!」
との申し入れがあったくらいでしたから
(笑)
この練習試合で闘犬センターから参加し
ていた佐竹選手がレフトのフェンスオー
バーのホームランを打ちます。
この町では「JAPAN」が合宿してい
ることは知られていたようで、
あとこちで
「お前がホームランを打った男か?」
と聞かれていました。
練習試合あり、歓迎レセプションあり、
地元のバーに連れていってもらったりと
楽しい事前合宿でした。
ところが一転、またまた事件が起こりま
す。
オーナー(選手団長として後から合流)
からは、浮かれることなくしっかり練習
せよとの指示は出ていました。
ちゃんと練習はしていました。
気になったオーナーはホテルに電話した
みたいです。
ところがその日私たちは練習終了後、
シカゴホワイトソックスの本拠地にナイ
ターを見に行っていて留守だったんです。
これも一旦はお断りをしたんですが、
地元の方も私たちを喜ばそうと計画して
くれていたので、これ以上拒絶すること
は出来ないということで、お受けしたも
のでした。
初めて訪れたメジャーリーグの球場は
素晴らしくて、また電光掲示板に歓迎
メッセージが流れた時は感動しました。
そしてみんな楽しんでホテルに帰って
きたら、日本からお怒りの電話がガンガ
ンかかってくることになります。
最初は副団長や監督の岡先生で、次に
三宅さん、杉本さんだったようです。
寝ていた私にも何故だかお怒りの電話の
電話が・・・
「お前ら、ちゃんと練習しゆうがか!」
「大リーグの試合なんか見に行きやがっ
て!」
熟睡している私は突然起こされて寝ぼけ
ているは、何が起こっているのかも分か
らず、受話器から聞こえてくる聞き覚え
のある、怒鳴り声を聴いていました。
そして、今後の指示を伝えられましたが
それが何故私だったのか、今考えても
不可解です。
全ての話を聞き終わるころには、すっか
り目が覚めていましたので、そのまま
指示を伝えるために監督の部屋を訪れる
と、監督、三宅さん、杉本さんが揃って
おられて、すでに指示はされていた感じ
でした。
それなら何故???
不明です(笑)
言い出したら聞かないので、とりあえず
言われた通りやっているとうことでとな
りました。
さて、練習試合で調整もできた全日本チ
ームはナイターでホームセービングスと
試合をすることになります。
スタンドも満員(アメリカの町には、そ
れぞれ立派なスタジアムがあるみたいで
す。)入場料も取っての試合でしたので
すごく緊張しました。
ホームセービングスの先発は55歳の
ブルーベイカー投手でした。
この投手は年齢は55歳でしたが、私た
ちが練習試合で戦ってきた投手とはまっ
たくレベルが違いました。
全日本はこの試合「完全試合」をやられ
てしまいます。
手も足も出ないとはこのことです。
スピードは手も足も出ないということは
ないのですが、変化球は日本人には投げ
られないような変化をしますし、コント
ロールも抜群。
完璧にやられました。
試合終了後の盛り上がりは半端なもの
ではありませんでした。
わが町のチームがオールジャパンに
勝った。
それも完全試合で!
盛り上がらない訳がありませんよね。
私は今55歳になりましたが、同じ年齢
のブルーベイカー投手と比べると、悲し
いくらいの投球しかできません。
ずっと以前から、闘犬センターの西村投
手に
「日本のブルーベイカーになれ。」
「それが出来るのはお前くらいや。」
と言ってきましたが、彼くらいしか対抗
できる人間は日本にはいないと思います
ね。
彼も現在は現役では投げていませんが、
時々講習会なんかで投げている姿とボー
ルを見ると、やっぱり西村しかいないな
あと思ってしまいます。
それほど、この時のブルーベイカー投手
はすごかったです!
これがオーロラという町のチームなら、
オールアメリカにはどんなピッチャーや
バッターがいるのだろうと、自信をなく
して事前合宿を終了することになりまし
た。
今日はここまでにしたいと思います。
次回はいよいよミッドランドに移動しま
す。
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初めてのアメリカ、
初めての世界選手権
初物づくしで、わくわく、ドキドキの
約3週間でしたが、その楽しさをいつも
ぶち壊してくれたのは、オーナーの怒鳴
り声とわがままでした。
写真は「JAPAN」を完全試合という形で、
叩きのめした
ブルーベイカー投手です。
来日した時のパンフレットの選手紹介の
ものですが、12回もオールアメリカン
に選出され、全米選手権で5回のノーヒ
ットノーランを達成、バッターとしても
リーディングヒッター賞も受賞している
とのことですので、西村選手の目指す
選手はやっぱりこの選手ではなかったの
でしょうか。
職業が包装紙製作所社長というのも、
尊敬するところですね。
まさかもう現役でピッチャーはしていな
いと思いますが・・・
今日はここまでにしますね。
