日本一 | ソフトボールを愛する人にお届けするブログ

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これは第20回全日本男子総合選手権の
優勝レプリカになります。

今は私の手元にあります。

これはかなり以前闘犬センターの倉庫に
なっていた建物を整理していた時に、
ここに置いていても腐らせるか、捨てら
れるだけになると思ったので、何人かで
分けて持ち帰ったものです。

オーナーには内緒でしたけどね(笑)

これも私の家で飾られることもなく、
押入れの中の衣装ケースに放置されたま
まになっています。

結局こんなもんなんです。

闘犬センターがソフトボールを始めた時
のことは、ご紹介したように地元の「横
浜ジャイアンツ」に勝ちたかっただけで
したし、

「日本一」

を目指したことは実はなかったような
気がしないでもありません。

目の前の相手に負けたくない、目の前の
試合に勝ちたっかただけだったんじゃな
いでしょうか。

その相手や試合がいつの間にか、高知市
の横浜地区から、高知市になり、高知県
になり、そして四国になって、最終的に
全国になってしまった。

そこで勝つので、結果としては

「日本一」

になっただけのことかもしれません。

本当に初期の頃に、闘犬センターの2階
でだるまに片目を書いて

「国体優勝」

と書いたことがあります。

これも「国体優勝」が目標で、言葉とし
ては「日本一」ではありませんでした。

国体優勝のご褒美の「ハワイ旅行」
行きたかっただけのことです。

この頃の闘犬センターは羽振りも良く
(あくまでも見た目のことです。実態は
知りません。)本当に連れて行ってくれ
そうな勢いはありました。

結局実現することはなかったですが(笑)

実現しなかったので、国体優勝した後も
ダルマには目は入らなかったような・・

始めの頃は勝てなくて大の大人が泣いた
なんてエピソードもご紹介しましたが、
最初から強いチームじゃなかったんです。

それが県で勝ち、四国で勝ち、ついには
全国で勝てるようになります。

それは一朝一夕に勝てるようになった訳
ではありませんでした。

その頃を知っているメンバーと、入った
時には既に日本一だったメンバーでは、
おのずとその感覚にも違いが出てきます。

25年もやるとたくさんのメンバーが
入れ替わっていますので、その時代時代
で考え方、やり方、想いも違って当たり
前ですよね。

明日からはその時代時代を、このような
視点で振り返ってみたいと思います。

先日の日本リーグの高知PWの戦い方を
見させてもらって、この選手達はどんな
目標を持ってプレーをしているんだろう
とか、どんな試合運びやプレーが理想な
んだろうと思ってしまいました。

最近は岡本監督の依頼で杉本さんが指導
に行かれていますが、ものすごく優しい
言葉で声を掛け、その選手の良い所を
活かすようにしていることに、頭が下が
ります。

「よく我慢してますなあ。」

って感じでしょうかね。

ただ、相当自分の感情を抑制しているん
でしょうね。

私なんかに話す時は

「ダメ、下手くそやもん。」

と現場では言わないきつい言葉を聞かさ
れることがあります。

それは昔の闘犬センターであったり、昔
の戦い方を一緒に共有してきた者だけに
発する言葉ですけどね。

このブログを見てくれている高知PWのメ
ンバーもいますので、あえて言いますが
なぜ杉本さんがあれほど優しい言葉で
指導してくれているのかを考えてみてく
ださい。

何か理由があるはずです。

そうじゃなかったら、笹岡部長のような
言い方がどちらかと言うと高知県人流、
闘犬センター流だと思います(笑)

まあ、私に比べると笹岡部長の言い方も
すごく優しいですけどね。

これでええかね?笹岡部長(笑)

今日はここまでにしますね。