
西村選手と森澤選手が一緒に写った、
手元にある唯一の写真です。
この二人が今、一人は男子の全日本の
監督で、もう一人が女子のデンソーの
監督をしているなんて、すごいですよ
ね。
先日西村選手のニュージーランド武者
修行の話しをしたところ、フェイスブ
ックの方に西村君本人からコメントが
入っていました。
「ニュージランドで教わった時に、カ
ルチャーショックと何を言っている
のか全く理解出来なかった。」
「結局、クロスステップで、上体を
前傾させてファストボールを投げれ
はいいんだと思った。」
これを読んでやっと分かりました。
これドロップの投げ方を言っているん
ですけど、この頃西村選手のピッチン
グ練習を見ていると、ストレートを投
げているかと思ったら、突然何も言わ
ずに強烈な角度のドロップを投げて来
ることがよくありました。
「おい、お前のボールは凶器ながやき、
投げる前に球種くらいは言え!」
「キャッチャーが壊れる。」
と怒ると
「投げてみないと落ちるかどうか分か
りません。」
との答えだったような気がします。
なるほど!でした。
まだまだ未完成の時代ですので、指へ
のかかり方でまっすぐ行ったり、落ち
たりしていたんですね。
それはそうですよね、投げ方はファス
トボールなんですから。
まっすぐ行くかもしれないし、落ちる
かもしれない。
こんな暴れ球を受けていたのが、森澤
選手でしたし、その後の山崎正宏選手、
山崎泰稔選手でした。
三人目の頃はベテランの域に入って、
安定していましたので、そう暴れ球と
いう感じではなかったですが、一人目
と二人目は大変だったと思います。
その中でもやはり長く(高校時代)か
らバッテリーを組んでいた森澤選手が、
一番相性が良かったのではないでしょ
うか。
キャッチングの柔らかさも一番でした
し、西村選手を一番理解していたのも
森澤選手じゃなかったかと思います。
同級生ですので、二人に話しを聞いて
もお互いを褒めるなんてことは、あま
りないですけど、信頼関係を感じさせ
るきつい言葉をよく耳にします(笑)
時には強烈なシンカー気味のドロップ
を受け損ねて、左手薬指の第一関節が
反対向きに脱臼したこともありました。
「山崎さん、指が・・・」
見た瞬間、
「病院行こう。」
でした(笑)
このキャッチャーの存在があってこそ、
日本の大エース西村信紀の存在がある
ということでしょう。
一方球児君は矢野選手という名キャッ
チャーの存在は大きなものでした。
確かに全盛期の球児君のストレートで
あれば、だいたいのバッターは抑える
ことが出来たでしょう。
けれど球児君が全幅の信頼を寄せる
矢野選手が、球児君のボールを信じて
思いっ切りストレートを投げさせてく
れる、あの感じがなければあそこまで
すごいストッパーだったかは疑問に
思います。
勝負になると中腰になって、高めの
ストレートを要求する。
バッターも分かっていながら、打てな
い。
あのインサイドワークは矢野選手しか
出来ないものでした。
「ストレートという魔球」
という言葉も矢野選手から生まれて来
た言葉でした。
球児君も矢野選手を信じて、ミット目
がけてストレートを投げればよかった
んですから、楽ですよね。
当時控えのキャッチャーとしては、
浅井選手、狩野選手とかがいましたが、
ファンの見たい球児君を演出出来たの
は、やはり矢野選手だけだったような
気がします。
今後矢野さんが阪神タイガースの監督
になることがあるとしたら、もしかし
たら球児君がそのスタッフとして監督
の側にいるかもしれませんよ。
以前はそんなことを言うくらい、矢野
選手をリスペクトしていましたから。
今後の動向が楽しみです。
今日はここまでにしますね。