球児と西村(その3) | ソフトボールを愛する人にお届けするブログ

ソフトボールを愛する人にお届けするブログ

ソフトボールがもっと上手になりたい、勝ちたい、テクニックが知りたい方に、カリスマたちの貴重な情報をお届けします。



球児君が入団当時つけていた「30番」
のユニフォームと帽子です。

体も出来ていなくて、ひょろっとした
選手でした。

筋トレも全然熱心ではなくて、沖縄での
自主トレでも、グランドでのランニング
キャッチボール、アジリティー等が終わ
ると体育館に移動して筋トレをするとい
うスケジュールだったんですが、先輩の
福原選手が熱心にトレーニングしていて
も、すぐさぼる(笑)

気分が乗らない時は車に残って、コンビ
ニで買ってきたスポーツ新聞を読んでい
ることなんかもありました。

「僕は筋トレなんかしなくても、あのボ
 -ルが投げられるが。」


「筋トレは必要ない。」

とまで、この頃は言ってました。

速いボールを投げるためだけに筋トレを
するのではないことが理解出来た頃から
は、人が違ったように筋トレに取り組む
ようになりました。

「故障しない丈夫な体作り」

「体のバランスを良くするためのトレー
 ニング」


の必要性を感じたからだと思います。

ただ面白いもので、このコツコツ真面目
にトレーニングしても、球児君の球速が
トレーニングをする前の最速記録を更新
することはなかったように思います。

いつの間にか体が大きくなって、横に並
ぶと圧迫感すら感じるようになっていま
したが、細くてむちのようにしなるしな
やかさは薄れてしまったのでしょうか。

まあ、それでもプロの野球選手(投手)
の中では、細めの選手でした。

オールスターを見に行かせてもらった時
に、整列した日本を代表する投手たちの
中でも、その細さは際立っていました。

西村選手は昨日の写真でも分かるように、
高校卒業時は大人の中では線が細い感じ
でした。

それでも球児君に比べれば、そんなに
細いという感じでもなかったように記憶
しています。

投げても打っても

「遠くに」

ということに関しては、ずば抜けた才能
を発揮していました。

ただランニングは苦手(笑)

苦手というか、これまで走っていなかっ
たでけでしょうけど、私と一緒に走って
いても、途中でリタイアということにな
っていました。

そのうち私がピッチャーを辞めて、ラン
ニングしなくなりましたので、一緒に
走ることもなくなったのですが、西村選
手が練習前とか練習後に走っていたとい
うイメージはないですね。

どこか隠れて走っていたんだろうと思い
ます。

スターは努力している姿を見られたくな
いのかもしれませんね。

私なんかは、努力している姿をチームメ
イトに見せて、その練習量の多さのみで
チーム内での立ち位置を確保していまし
たので、次元が違いすぎます。

このシリーズのタイトル、何も考えずに

「球児と西村」

にしてしまいましたが、考えてみると
高知商業の先輩でもあるし、年も上です
から、

「西村と球児」

が正解だったなと思っています。

西村君、ゴメンナサイ。

さて、このブログでもご紹介しました

「弘瀬 拓生先輩」

が、アメブロでブロクを始めました。

タイトルは

「ソフトボール夢広場」

です。

弘瀬先輩のソフトボールを始めた頃から
を、本人しか知らないことを網羅して
書き始めておられます。

何か知らなかったことがいっぱい出てき
そうで、楽しみです。

今日はここまでにしますね。