結成5年目、昭和58年に入りました。
さてどんな戦いぶりだったんでしょうか?
それではどうぞ。
---------------------------------------
第18号のメニューはこちらです。
■昭和58年
■編集後記
------------------------------------------------
■昭和58年
------------------------------------------------
昭和58年のシーズンを振り返ります。
この年は高知新聞の検索では、県の春季
大会等の記事がヒットしませんので、
いきなり6月26日の全日本一般男子の県
予選からになります。
この日の決勝も宿敵鴨田体育会になりま
した。
しかし、戦いは闘犬センターの一方的な
ものとなって、結果は8-0という完勝に
終わります。
昨年の全国での戦いが自信となってきた
のでしょうか?
続く7月10日の四国予選も、延長8回1-0と
サヨナラホームランで勝って、全国大会
出場を決めます。
そして8月7日高知県で開催された第4回
全日本クラブ男子ソフトボール大会では、
クラブに敵なしといった戦いで優勝、
前回に続いて2連覇、通算3回目の優勝と
なりました。
この大会には前年度優勝チームとして
闘犬センター、地元代表の鴨田体育会、
四国代表のすなっく木の実の3チームが
参加していました。
高知開催で、高知県同士の決勝戦となれ
ば盛り上がったんでしょうが、鴨田体育
会は2回戦で惜敗、スナック木の実は
準々決勝で延長13回サヨナラ負けとなり
ます。
残るは闘犬センターだけとなった最終日
でしたが、地元開催ということもあって、
どうしても勝たなくてはいけないという
プレッシャーの中、良く頑張って優勝し
ました(笑)
さて、四国予選を勝ち上がった一般男子
の全国大会は、9月に新潟県上越市で開催
されました。
1回戦住友金属鹿島を1-0で下し、
2回戦で日産自動車と対戦しました。
私たちもトヨタ自動車は意識していまし
たが、日産自動車は全くノーマークでし
たし、たいしたことはないだろうと思っ
ていました。
試合会場が工業高校のグランドで、アッ
プでランニングをしている時に、ユニフ
ォームが外野生えている草に触ると黒く
油のようなものが付くという、イヤな感
じだったことをしっかり覚えています
(笑)
この
「たいしたことないだろう。」
が油断を呼んだのだろうと思います。
いつでも点が取れる、そんな感じのピッ
チャーでしたし、打線もたいしたことあ
りませんでした。
だらだらと0行進が続き、5回裏の守り
でエラーが出て1失点。
これが決勝点となって0-1で負けてしまい
ます。
予定外の敗戦でした。
ここまでの良い流れを止めてしまいかね
ない悪い負け方をしてしまいました。
当時、闘犬センターのメンバーは日産の
車に多く乗っていましたので、もう日産
は止めるとか言っていたのを覚えていま
す(笑)
私もその中の一人です!
結局車買い替えるような余裕のあるヤツ
は、いませんでしたけどね。
本当に残念な大会でしたが、やはりどん
な相手であっても、先取点を取るまでは
集中してやらないと、痛い目に会うとい
う教訓になりました。
この年は、この後闘犬センターとして
初めての国体出場となる群馬県で行われ
たあかぎ国体に出場し、その後初の実力
日本一を勝ち取ることになる日本選手権
が大阪球場で開催されます。
この2つの大会については、詳しくご紹
介したいと思いますので、今回はここま
でにしますね。
-------------------------------------
まだまだ強さ、豪快さと脆さの同居した
発展途上のチームの戦いぶりでしたね。
写真はクラブ大会の優勝の時のものに
なります。
地元での開催ということもあって、
応援してくれていた人たちも一緒の記念
写真になっています。
懐かしい顔が写っていますが、旗を持っ
ている奴が写っていません(笑)
これは誰なんでしょう?
