を探すしかなくなっています(汗)

深見選手「背番号15」のホームランを、
ベンチ前で迎えている「24」が
「北川選手」になります。
彼は最初は正式な闘犬センターメンバー
ではありませんでした。
初代監督の「田中規夫さん」と職場が
同じで、園芸高校(現春野高校)で
ソフトボールをしていた北川選手を
闘犬センターの練習に連れてきていた
ことが、彼との最初の出会いでした。
そつなくこなすけれど、特に特徴もない
と言う感じだったでしょうか。
ただ彼はすごく真面目に練習に参加して
いました。
よっぽどのことがない限りは練習を休ま
ない、これが取り柄でしたね。
それでいつの間にか正式登録になってい
ました。
普段の練習には人数が集まらない、ひど
い時には5人とかいうこともよくありま
したので、彼の存在は大きかったですね。
こつこつ努力した結果、彼の守備力は
闘犬センター内でも安定感のあるものに
なっていきました。
元々は内野手ですが、外野手も無難にこ
なしましたので、有難い存在でした。
サードのDH守備という形が一番多かっ
たんではないでしょうか。
「佐竹選手」の守備の負担を軽くして
いましたね(笑)
長く闘犬センターに所属していましたの
で、「西村監督」の時代には「31」を
付けて「コーチ」もしていました。
彼もまた
「継続は力なり」
を実践した選手の一人ではないでしょう
か。
そしてもう一人、深見選手の左の選手が
「上田卓也選手」です。
彼は家竹選手と一緒に夏の甲子園で優勝
した時の、高知商業の遊撃手です。
その後日本体育大学に進学して、縁があ
って闘犬センターでソフトボールをする
ことになりました。
身体は小さいですがパワーがありました
ので、当たると鋭いライナーや、時には
大きな当たりをとばしていましたね。
ただ、ソフトボールのピッチャーには
なかなか慣れないようで、タイミングの
捕り方や、ライズボールに苦労していた
ことを思い出します。
守備は長く硬式野球をしていましたので、
問題なくこなすのですが、身体が小さい
人は手も小さい(?)
大きなソフトボールを持つのに苦労も
していました(笑)
長くは所属しませんでしたが、現在は
中学校の教員として、野球を教えていま
す。
最近の中学生は大きいので、練習中に
「上田先生」を探す時は、
「身長の一番低い人」
を探すようにすると見つけやすいです!
今日はここまでにしますね。