
この写真は1986年
サイパンパンパシフィック大会で投げて
いる
「弘瀬投手」です。
この大会は選手団長が闘犬センターオー
ナーであり、日本ソフトボール協会会長
の弘瀬 勝氏で、監督が杉本さんです。
選手は闘犬センターから4名が」選ばれ
ていて、そのほかに「高知教員」から
「弘瀬拓生選手」と「田中雄二選手」が
選出されています。
田中雄二さんはご存知のように、元闘犬
センターであり、弘瀬さんはこの頃も
ずっと闘犬センターからの誘いを断り
続けていたころですね。
何かこの選出には、オーナーの裏があり
そうな匂いがしますね(笑)
さて、弘瀬さんから経緯を書いたメール
が届きました。
読んでみると知らなかったこともたくさ
ん書かれていました。
大学卒業後は恩師のいた「西部教員」で
プレーすることを決めていたので、他の
チームでプレーするつもりがなかったこ
と。
オーナーはその頃すでに勧誘に行ってい
たこと。
その勧誘に訪れたオーナーが乗っていた
のは、「リンカーン」だったところは、
私の時と同じでした(笑)
断ることしか頭になかった弘瀬さんは、
お土産を受け取ることも拒否したそうで
す。
「大正解」です!
断るつもりなら相手をしてはいけません。
相手をしているうちに、オーナ-のペー
スに引き込まれて、いつの間にかやるこ
とにされてしまうということは、これま
でにも何回かご紹介しました。
弘瀬さんはこの後何回かのアプローチに
も心動かすことなく、断り続けます。
オーナーは弘瀬さんが欲しかったんです。
名字も同じ「弘瀬」です。
このことは何回か直接聞いたことがあり
ます。
弘瀬さんの実力もそうですが、この名字
の一致もオーナーとしては、何かの縁と
でも思っていたんでしょう。
それがどう誘っても、目の前にエサをぶ
ら下げても食いついてこない弘瀬さんに
対して、猛然と敵意を示すよいうになり
ました。
こうなるともう
「かわいさ余って憎さ百倍!」
敵は「鴨田」であり、「弘瀬」になりま
した。
「弘瀬には絶対負けるな!」
弘瀬さんは弘瀬さんで、長い関係の中で
受けた理不尽な扱いもあって
「闘犬には絶対負けない!」
と徹底的に対抗していました。
これが「闘犬センター対鴨田体育会」の
名勝負を生んだエネルギーにもなりまし
た。
そのおかげで両チームのレベルも上がっ
て行ったと言っても過言ではないと思い
ます。
最後は結局3年間闘犬センターでプレー
されることになりましたが、たった3年
でしたっけと聞き直すほど、長い間一緒
にプレーしていたように思えるのは何で
でしょうね?
けどオーナーは闘犬センターに入ったら
優しかったでしょう?
好きだったんですよ、弘瀬さんのことが
(笑)
弘瀬さんの振り返りの中では、闘犬セン
ターからの、いやオーナー直々の誘いを
断ったことを、
「無礼だった。」
と言われていますが、そのくらいでなか
ったらあなたの人生は違ったものになっ
ていたと思います。
それが良かったかどうかは分かりません
けどね(笑)
あくまでこれは、ずっと闘犬センターに
所属した私の感想ですけど。
今日はここまでにしますね。