変わり種の選手をご紹介しましょう。
「今西投手」
です。
古い方はご存知だと思いますが、彼は
「日本電装(現デンソー)」
のエースとして活躍していた選手でした。
その彼が昭和61年と昭和62年の
シーズン、闘犬センターの選手として
登録されて、試合にも出場しています。
仕事は「日本電装」のままでです(笑)
日本リーグには日本電装も加盟してい
ましたので、リーグ戦で自分の勤務先
のチームと対戦するということがある
わけです。
誘った闘犬センターもおかしいですが、
その誘いに乗って闘犬センターでソフト
ボールをやろうと思った今西君も、
ちょっとおかしいですね。
彼は高知県の清水高校の出身で、いつま
でたっても「清水弁」をしゃべっている
愛知にはなじまない男でした。
海で生まれ、海で育った彼の潜水能力は
すごかったみたいで、地元の漁師さんも
一目置くほどだったそうです。
海に潜っては大きな魚を突いてきたとい
う話を自慢げに話していましたが、
さすがにサメだけは怖かったとは言って
いました(笑)
日本電装に入部してからは、
「走っていろ!」
と言われると、止めろと言わない限り
ずっと走っていたという男だったそうです。
その成果もあって日本電装のエースを張っ
ていましたし、実力的には全日本に入って
もおかしくない実力がありましたが、この
時代の日本電装の成績では、彼の成績も
なかなか目立つ成績にはなりませんでし
た。
それもあったのかもしれませんが、彼は
闘犬センターでのプレーを選択することに
なりました。
写真は移籍してすぐの日本リーグの時の
ものですので、この頃はまだ日本電装時代
の貯金もあったのですが、練習量が確保が
できなくなってくると、だんだんその輝き
を失っていきました。
さらに闘犬センターには絶対的エースの
西村投手の存在がありましたので、大事な
ゲームはいつもの、
「西村で行け!」
の指令の元で、今西投手の登板回数は減っ
ていきました。
先日現在日本ソフトボール協会に出向して
いる仁井田君と話している時に、今西投手
の話題が出て、仁井田君が
「闘犬に行っても投げられると思ったんで
しょうけど、西村が居ましたもんね。」
と言っておられました。
ということは、西村君がまた一人日本の
優秀な投手をつぶしたということになるん
でしょうかね(笑)
日本電装に行って、練習して実力がアップ
した選手だったので、練習しないと普通に
なってしまうということだったのかもしれ
ません。
彼も彼なりに考え、悩んだ末の結論だった
ので、後悔はしていないとは思いますが、
そのまま日本電装で投げていたら、もう少
し選手寿命は長かったんだろうと思いま
す。
今もデンソーで勤務されているということ
ですので、少し安心しました。
高校を卒業して30年以上たっていると
思いますが、まだ「清水弁」でしゃべって
いるような気がします(笑)
会って確認したいなぁ~!
今日はここまでにします。