選手紹介(11) | ソフトボールを愛する人にお届けするブログ

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「田中雄二選手」です。

前にもご紹介しましたが、田中兄弟とは
何の関係もありません(笑)

私と田中さんの出会いは、私が高校2年
の時になります。

インターハイの県予選(県体)でした。

当時高知県の高校男子のソフトボール界
は、高知商業、高知工業、高知農業が強
くて、私達幡多郡(高知県西部)の高校
がこの3校に勝つことはなかなか出来な
時代でした。

インターハイも前年優勝校は推薦出場枠
があって、この年も前年に高知商業が
優勝(杉本さんたちです。)していたの
で他の高校にもインターハイ出場のチャ
ンスがありました。

その1枠を争ったのが、田中さんのいた

「中村高校」

私のいた

「大正高校」となりました。

この幡多郡の2校がインターハイ行きを
かけて戦うのも珍しい出来事でしたが、
この試合とてもいい試合だったんです。

同点で延長戦になり、私の打ったライナ
ーがレフトを守っていた山沖さんのグラ
ブに収まった次の回に、その山沖さんに
左中間を抜かれるホームランを打たれて
負けるという劇的な終わり方をします。

私はその次の年もインターハイのかか
った試合で、ノーヒットノーランをして
いたのに、左中間にサヨナラホームラン
を打たれて負けるということになりまし
たので、2年続けて左中間を抜けていく
ボールを見た時は、

「あれ、この光景は去年もみたぞ!」

と思ったものでした。

本当にインターハイは近くて遠いもの
でした。

田中さんの話しに戻りますね。

インターハイに出場した「中村高校」は
その経験を自信に変えて、国体予選も
優勝します。

佐賀国体でしたが、その中村高校を中心
として編成された国体チームに私と、
デンソーで活躍された「橘さん」(清水
高校)が補強で入りました。

幡多郡勢だけで構成された唯一の国体
チームだったのではないでしょうか。

夏休みの間に中村高校で合宿が行われま
したので、そこで田中さんには大変お世
話になりました。

田中さんは「中村高校のキャプテン」
されていましたので、他のかた以上に
気を使っていただいたんだろうと思いま
す。

学校の寮に泊まららせていただいていま
したので、寮から練習会場までを走って
行ったりしていましたが、そこで田中さ
んに負けてしまうんですね。

あんな体型していますが、意外と走れる
んです(笑)


あんな体型していますが、センスあるん
です(笑)


体型も人柄もぜんぜん変わっていません。

田中さんの闘犬センターでのあだ名は、

「まんちゃん」

でした。

これは私が言いだしたものです。

合宿中の帰り道でした。

田中さんに怒られた中村高校の後輩
(私より1つ下の1年生でした。)

「くそ、田中のまんじゅうが!」

と言ったのです。

体型は出会ったころからあんな体型でし
たので、決してスマートではありません
し、どちらかと言えば「丸い」イメージ
ですよね。

たぶんその体型からきた言い方だったん
だろうと思います。

それを私が覚えていたんですね。

長野県の伊那市で開催された一般男子の
大会で再会した田中さんと山沖さんを

「一緒に闘犬でやりましょう。」

と誘い、闘犬で一緒にソフトボールを
始めた頃に、高校生時代のことを話して
いて、

「田中のまんじゅう」

を思い出した私が、いつの間にか

先輩である田中さんを「田中さん」では
なくて、

「まんちゃん」

と呼び始めて、いつの間にかみんなも

「まんちゃん」

と呼ぶようになったという訳です。

後輩のくせにすみませんでした。

けど、闘犬センターは「田中」だらけ
でしたので、「田中さん」と呼んでも
分かりずらくて、面倒だったんですもん。

トヨタの「田中誠一さん」もいつの間に


「誠一ちゃん」

になっていました。

これは何度か怒られましたけどね。

「お前が誠一ちゃんと呼ぶき、西村
 (高知商業の後輩になります。)
 まで、誠一ちゃんと呼びゆうやんか。」

これにはいつも同じ言葉で反論しました。

私は田中規夫さんは「規夫ちゃん」

杉本さんは「お杉ちゃん」

と呼んでいます。
で、あなたを「田中さん」と呼ぶのはおか
しいですよね。

西村は高校の後輩で、それが気に入らない
なら、直接西村に言って下さい。

それでいつも終わるのですが、確かに元は
私が言いだしっぺですので、それなりに
責任は感じております。

ただ、嫌いなひとに「ちゃん」付けでは
呼ばないので、許してくださいね。

さて、余談だかりになりましたが田中雄二
さんの話しに戻ります。

田中さんは昭和56年から7年間闘犬セン
ターで活躍されます。


ブログ書いていて、面白いエピソードを
思い出しましたので、闘犬センターでの
活躍を含めて、明日その後の田中雄二さん
の人生をご紹介したいと思います。

それでは一旦終了とさせていただきます。