た。
それではどうぞ。
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第14号のメニューはこちらです。
■昭和57年
■編集後記
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■昭和57年
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この年は4月25日、第24回県一般
男子春季ソフトボール選手権東大会で、
ブレーブスに2-1で勝って優勝し、順調な
スタートを切っています。
ちなみに西大会の優勝は、鴨田体育会
です。
そして、前年3位に終わったためにクラ
ブは県予選から出場する必要がありまし
たので、6月6日第3回全日本クラブ
男子ソフトボール選手権大会県予選に
2年振りに出場して、決勝戦で野村酒販
に10-1と快勝、四国予選へ進むことにな
ります。
第2回大会で鴨田体育会が優勝して、
推薦出場を決めているために、予選に出場
していませんので、この予選を突破するの
は難しいことではなかったです。
この頃には闘犬センターと鴨田体育会の
2強というイメージは、ほぼ出来上がって
いたような気がします。
6月20日に愛媛県新居浜市で開催され
た、四国予選に出場し、代表決定戦で
徳島の徳島キグナス紅楽部と対戦して、
1-0で勝って全国大会への出場を決めま
す。
このキグナス紅楽部でピッチャーをして
いたのが、後に鳴門渦潮クラブで長ーく
ピッチャーをする関原投手です。
彼は私と同級生で、闘犬センターが強く
なっていった時代に四国で頑張っていた
選手です。
ですから、四国予選で必ず顔を会わせま
すので抽選のいたずらで、闘犬センター
と対戦すると負けることが多くて全国大会
に出られなかったりしていますが、
地区が違っていたり、時代が少しずれて
いたなら、何度も全国制覇してもおかし
くない力を持っていました。
現にこの2年後、昭和59年のクラブ大会
では準決勝で闘犬センターに勝って、
決勝戦では鹿児島県の紳士服のシモノにも
勝って、見事優勝していますし、
(この時にはチーム名が鳴門渦潮クラブに
なっています。)
彼は40歳以上の壮年大会では優勝の常連
になり、徳島に関原ありと全国にその名前
を轟かせました。
この大会の準決勝戦の出来事は、私の
ブログで詳しくご紹介していますので、
興味のある方はそちらを覗いてみて下
さいね。
さずがに50歳を超えて、太ってしまっ
て、最近は関原君らしいキレの良い
ライズやドロップを見ることは出来なく
なりましたが、現役を退いて、壮年大会
で再会して対戦する時は、どちらも昔の
感じを思い出して、本気になってやって
ましたので、結果はどうであれとっても
楽しい対戦をさせてもらいました。
ちなみに、私たちはバラバラになってしま
ったので、単純比較はできませんが、
40歳以上の壮年では(マスターズ大会
も含む)、たったの1回しか優勝していま
せん。
情けなーい!
この後は、たくさんの出来事があります
ので、続きは次回ということにさせて下
さい。
今日はここまでにします。
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文中でご紹介した第5回全日本クラブ男子
ソフトボール大会で優勝した時の、
「鳴門渦潮クラブ」です。
懐かしい顔が並んでいます。
こんなユニフォームやったっけ?(笑)
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していますので、こちらもよろしくお願
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