
第1回全日本クラブ男子ソフトボール
大会の優勝投手
「別役 聡一選手」です。
闘犬センター創立時にはおられませんで
したが、1年目の途中に
「香我美町体協」
から移籍してこられました。
ライズボールの得意なピッチャーで、
県内でもその名前は知られた存在でした。
本人はあまりそのつもりもなく、話しだ
け聞くつもりだったようですが、前にも
何回も申し上げましたが、断るつもりな
ら、行ってはいけない、会ってはいけな
いんです(笑)
オーナーの口車に乗るというか、相手の
ペースにはまって断れなくなってしまう
んですね。
で、いつの間にかやることになってしま
うという罠にはまった選手の一人です。
「香我美町体協」というのは高知県の
東部にある香我美町(現香南市)の
チームですから、当然別役さんは
「裏切り者」
になったわけです(笑)
別役さんは香我美町の自宅にお住まいで
したから、当初は大変だったようです。
さらに大変だったことがありました。
別役さんは仕事も闘犬センターになりま
したので、仕事もしてソフトボールもし
てという立場でした。
その当時闘犬センターに就職してソフト
ボールをやっていた選手は、ほとんど
高校を卒業したばかりの選手でしたので、
社会人の経験のあった別役さんに、遠征
や対外的な交渉なんかを全てやってもら
うことになりました。
ところがこれがとても面倒臭いんです。
全てオーナーの気分次第なんですね。
気をきかして準備をしていると、
「ワシに断りもなく、何勝手にやりゆう
がな!」
と怒られます。
先にやっていると怒られるので、指示が
あるまで何もしていないと、
「何で準備してないがな!」
と怒られるわけです(笑)
「どうせえ言うがな!」
(どうしたらいいんですか!)
といつも別役さんは怒っていました。
高校出の若いやつらは勝手なことばかり
言ったり、やったりでしたし、別役さんの
ストレスはすごかったと思います。
たまの宴会の時に飲めないお酒をちょっと
飲んで、酔ったふりをしてオーナーに
悪態をついていたことが、せめてもの反抗
でしたね(笑)
オーナーを
「おい、勝!」
なんて呼んだのはあなただけですからね。
オーナーはその辺は良く理解していて
「別役もストレス溜っちゅうき!」
と笑って聞き流していました。
八つ当たりしているのを自覚していたみ
たいです。
そんなことを繰り返すたびに、
「もう辞める!」
「もう辞めた!」
と言い続けていましたが、清水投手も
加入して来て、チームの段取りは杉本さ
んが帰ってきてやるようになったのもあ
って安心されたのか、逃げるのは今と
思ったのか、会社も辞めてソフトボール
も辞めてしまいました。
この第1回のクラブの優勝投手は唯一
チームからの「ご褒美」だったかもしれ
ませんね。
ご苦労さまでした!
今日はここまでにしますね。