
第1回全日本クラブ男子ソフトボール大会
の表彰式の
「田中規夫監督」
と
「葛岡嗣夫コーチ(故人)」
です。
闘犬センターはこのシーズン前、その
歴史の中で1回限りの「合併」をして
います。
県内でも強豪であった
「西部オート」
と合併(形は吸収合併でした。)
葛岡さんは、その「西部オート」の監督
をされていた方で、合併後はコーチとし
てチームを支えていただきました。
西部オートからは、葛岡嗣夫さん、
葛岡三男さん(弟)、後にキャプテンに
なる平松さん、ピッチャーの公文さん、
内野手の吉田さん、外野手の宮崎さんが
移籍してこられました。
この中の宮崎さんが、闘犬センターに
就職して働かれていました。
そして居なくなった宮崎さんを探して
いたオーナーと帰ってくる約束をして、
オーナーと
「指切り」
をされた唯一の方です(笑)
合併1年目もこの年に第1回のクラブ
大会が開催されて、見事優勝となりまし
た。
この大会には西部オートの社長も同行し
ていて、準決勝くらいの時に
「優勝したらエアコンつけてよ!」
という賭けをしていました。
今はエアコンなんて付いていて当たり前
ですが、当時は高級車でもなければエア
コン(冷房)は後付が普通の時代でした。
何も考えず思わず言った言葉でしたが、
優勝してしまったので、約束は守っても
らいました。
ありがとうございました。
今考えるとなんて太っ腹な社長だったん
でしょう(笑)
この西部オートの社長には、ご飯を食べ
に連れていってもらったり、飲みに連れ
て行ってもらったりと、大変お世話にな
りました。
闘犬センターの社長がそのようなことを
する人ではなかったので、闘犬センター
の若い選手達は、色々とお世話になって
いましたね。
葛岡コーチは仕事の都合もあって長くは
所属されていなかったんですが、交流は
続いていました。
そして突然の訃報でした。
「葛っさんが死んだ!」
信じられない連絡でした。
お通夜、葬儀と進んでいきましたが、
それでも現実と認めたくない自分が居ま
した。
一緒にいた規夫さんが、
「ええ人間から死んでいく。」
「残念や!」
という言葉が今も耳に残っています。
「葛っさん、俺まだ生きちゅうで。」
「世にはばかるタイプやろうかね?」
と聞いたら、
「お前はそうよ!」
って笑って言われるような気がします。
もうちょっと生きてみたいと思っていま
すので、天国から見守っていてください
ね。
「お前、相変わらずやねや。」
って言葉は、お会いした時に聞きますの
で(笑)
今日はここまでにします。