選手紹介(その6) | ソフトボールを愛する人にお届けするブログ

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闘犬センターの

「左のエース清水源司投手」

です。

西村投手の加入前、ほとんどの全国大会
の優勝の時には、清水投手がピッチャー
ズサークルにいました。

群馬県出身で日本体育大学では弘瀬拓生
さんと同級生で、そこでもエースだった
ようです。

そのままソフトボールエリートの道を
進むとばかり思われていた清水投手の
人生は、ちょっとだけ道をそれてしまっ
て、大学を卒業することなくソフトボー
ルとも離れていました。

戦力補強を考えていた闘犬センターの
オーナーのところに、

「日体大のピッチャーが居ますが、どう
 ですか?」


「卒業もせずにブラブラしているようで
 すけど。」


という情報が入ります。

オーナーにとっては願ってもない話でし
た。

まともなエリートコースを歩いている奴
が、闘犬センターでソフトボールをしよ
うなんて考える訳もなく、道を踏み外し
ている選手で、それが実力は間違いない
とくれば、勧誘しない手はありません。

さっそく連絡をして高知に来てもらうこ
とになりました。

とりあえず実力を見てみようと試合で
投げさせてみましたが、練習もしていな
かったのでしょう。

結構打たれたという記憶があります。

一緒に来ていた学習院大学のソフトボー
ル部のマネージャーをしていたという
奥さんが、

「不甲斐ない奴や!」

と言い捨てていました(笑)

練習不足のうちはなかなか成績も上がり
ませんでしたが、練習量が伴ってくると
元日本体育大学のエースという実績は
伊達ではありません。

切れの良いストレート、ドロップ、
ライズボールを駆使して、成績を残すよ
うになってきました。

西村投手が加入した年に高知を離れて
東京に帰られました。

その年は東京から試合に来ていましたが
練習も出来ていなかったのと、例のごとく

「西村で行け。」

の指令の元では登板機会もなくなり、
闘犬センターへの登録もその年が最後に
なりました。

最後の方は、ちょっとおかしな
「土佐弁」も話していました(笑)

その後東京のチームに登録してプレーし
ていると聞いていましたが、ある日

「源司が死んだらしい。」

との情報が入ってきました。

喧嘩の仲裁に入って、刺されてお亡くな
りになったということでした。

約70名の所属選手のうち、はっきり
「死亡」したのが分かっているのは、
この清水さんとコーチだった葛岡さんの
お二人だと思います。

まだまだ若かったので、残念でなりませ
ん。

闘犬センターの闘犬横綱の名前は

「土佐司号」

と言います。

清水さんの名前にこの

「司」

の文字があったのは偶然だったので
しょうか。

何か縁があったと思うのは、考え過ぎで
しょうかね。

清水さんの存在がなければ、闘犬センタ
ーの優勝回数は大幅に少なくなっていた
ことは間違いないと思います。

ナイスピッチング!

そして、お疲れ様でした(合掌)