になります。
昭和56年のシーズンを迎えました。
それではどうぞ!
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第13のメニューはこちらです。
■昭和56年
■編集後記
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■昭和56年
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この年の高知新聞の記事は6月23日
から始まっています。
試合結果ではなくて、
カナダで開催される第1回世界ユース
ソフトボール選手権大会に、闘犬セン
ターから
「青山矢尋選手」と「高石東陽選手」
が選ばれたことが紹介されています。
この後7月に開催された大会での活躍
の様子が、何回も紹介されていました。
チームとしては、6月28日第27回
全日本一般男子ソフトボール選手権大会
の県予選決勝で、県庁クラブに勝って
優勝しています。
ところが、この年のデータはこれだけ
しかありません(汗)
検索に引っかからないということは、
この他の大会は全て負けているという
ことになります。
唯一優勝した全日本一般男子の四国予選
の記録も出てきませんでしたので、
負けているはずです。
前年優勝した全日本クラブ男子ソフト
ボール選手権大会は推薦出場していて、
8月14日~16日宮崎県日向市に行っ
ています。
準決勝で山口県の下関クラブと対戦して、
審判の微妙な判定で惜敗し、3位に終わ
っています。
(負け惜しみです。)
この年の優勝チームが宿敵「鴨田体育会」
でした。
全国の決勝戦で鴨田体育会と戦うという、
絶好のチャンスを逃したのは痛かったで
すね。
この後そんなチャンスは巡って来なかっ
たですから。
このことを紹介している新聞記事が
ヒットしないのは、見出しが
「鴨田体育会初優勝」
になっていて、「闘犬センター3位」は
どこかに小さく書かれていたせいだと思
います。
やっぱり、勝負は勝たないとダメですね
(笑)
この頃の「闘犬センター」には「悪」と
いうイメージがついていて、新聞記事も
どちらかと言うと「鴨田」寄りの記事が
多かったと思っているのは、僻みでしょ
うか(笑)
そんなこんなで、あまり成績の残らなか
った1年だったということでしょうね。
そして、確かに爆発力のある打線は持っ
ていましたけど、ディフェンス力に粗さ
があって、5点取るけど8点取られる
危険性を持ったチームでした。
全国で勝つようになっても、しばらくは
その傾向が続いていました。
攻守ともに安定した力を持つようになる
のは、日本リーグに加盟してからになる
と思います。
怒ったとき、本気になったときの爆発力
はすごいものがありましたので、相手
チームは
「どうやって闘犬を本気にさせないか。」
を考えていたと、後に聞いたことがあり
ます。
確かに本気じゃないわけではないですが、
どうしても気が抜けている、なめていて
負けるはずがないという相手にポコッと
負けるってことが、日本リーグではよく
ありました。
リーグ戦なので負けても次があるって
いうのもありましたが、特に春先の
第1節なんかはよく負けてましたね。
どこのチーム?は内緒とさせてください
ませ(笑)
油断大敵!
こんな言葉、当時使ったことないです
(笑)
あまりにもご紹介する記事が少なかった
ので、余談が長くなりました。
今日はここまでにします。
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文中でご紹介しました
「青山選手」です。
世界選手権の練習時の写真になります。
本日この写真の時をご紹介している
メールマガジン第25号昭和59年
(その5)を発行しました。
早く先を知りたい方は、そちらをご覧
下さい。