メールマガジン(16) | ソフトボールを愛する人にお届けするブログ

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ソフトボールがもっと上手になりたい、勝ちたい、テクニックが知りたい方に、カリスマたちの貴重な情報をお届けします。

今日もメールマガジンのご紹介になり
ます。

昨日のブログの後は、岡豊高校のOB
たちが、少々盛り上がっていたようで
すね(笑)

では、続きをどうぞ!

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第13号のメニューはこちらです。

■昭和55年(事件です。)
■編集後記

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■昭和55年(事件です。)
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さて、第1回全日本クラブ男子ソフトボ
ール選手権大会優勝に優勝した後の大事
件について、ご紹介しますね。

当時秋に各大会の優勝チーム(一般男子
は準優勝も)が集まって、実力日本一を
決める

「日本選手権」が大阪のど真ん中の

「大阪球場」

で、開催されていました。

日本ソフトボール協会主催の大会で優勝
したのですから、当然我々も出場出来る
ものと思っていましたが、

調べてみるとクラブの優勝チームには
出場資格がないことが分かりました。

協会の意識も

「しょせんクラブチームだから。」

だったんだと思います。

今ならそんなことを言う人は誰もいませ
んが、当時の認識はそんなものだったん
です
ね。

しかし、それには問題がありました。

総合選手権の出場資格の中には、その年
のインターハイの優勝チーム(高校生)
があったんです。

さすがに高校生が出ても試合にはなりま
せんので、出場辞退という形になり、
一般男子の3位のチームが代わりに出る
というのが、通例になっていたようです。

これっておかしいですよね!

クラブチームのレベルが低いと言っても、
大人のチームです。

高校生に出場資格を与えておいて、
クラブには出場資格がないなんて。

当時の協会がどう考えていたかは、もう
誰も残っていないので確認のしようが
ありませんが、この矛盾に闘犬センター
オーナー弘瀬勝氏は猛然と食いついてい
きました。

「どう考えてもこのやり方はおかしい!」

「日本ソフトボール協会はどうなっている
 んだ!」


「責任者出て来い!」

とまでは言ったかどうか・・(笑)

それで勝手に「組織強化委員」という
役職を作って、日本ソフトボール協会に
入りこみます。

オーナーの口癖は

「バカと利口が喧嘩したら、バカが
 勝つ。」


でした。

まさにこれです。
今まで見たことも聞いたこともないよう
な剣幕で、怒鳴りこまれた利口な
日本ソフトボール協会は、簡単に白旗を
上げてしまいました。

当然次の年からは、インターハイの優勝
チームの出場資格は無くなり、クラブの
優勝チームが総合選手権に出場すること
になります。

ところが第2回クラブ男子ソフトボール
大会で闘犬センターは3位に終わり、
宿敵鴨田体育会が優勝して日本選手権に
出場するという、皮肉な結果になります。

面白いものです。

この改革のおかげで、闘犬センターは
後に総合選手権で優勝して、実力日本一
になるわけですから、オーナーの貢献度
は高いと言わざるを得ませんね。

一旦食いついた闘犬はそれを簡単に離す
ことはありません(笑)


その後弘瀬 勝氏は日本ソフトボール
協会内での存在感を大きくして、あれよ
あれよという間に副会長、会長とその
地位を上げて行きます。

これはこれで、チームとして良い面、
悪い面がたくさんありました。

そのことはこれから成績を振り返りなが
ら、愚痴っていきたいと思います。(笑)

今回はクラブチームが日本一への足掛か
りを作った、大事件をご紹介しました。

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この写真が第2回クラブ男子ソフトボール
大会に優勝した時の

「鴨田体育会」

の写真だと思います。

間違っていたらゴメンナサイ。

恐ーい顔の人たちがたくさん写っていま
すね(笑)