メールマガジン(15) | ソフトボールを愛する人にお届けするブログ

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ソフトボールがもっと上手になりたい、勝ちたい、テクニックが知りたい方に、カリスマたちの貴重な情報をお届けします。

選手紹介は今日はお休みで、
メールマガジンをご紹介します。

第12号のメニューはこちらです。

■昭和55年
■編集後記

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■昭和55年
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昭和55年になりました。

いよいよ日本一への道が開けることにな
ります。

5月4日第1回全日本クラブソフトボー
ル選手権大会高知県大会の決勝戦で宿敵
鴨田体育会を4-0で破って優勝、四国予
選の出場権を手にします。

そして5月25日徳島県で行われた四国
予選に出場して、徳島県代表の県南トッ
パーズに15-0と完勝して、全国大会への
出場権を獲得。

その後、6月15日には全日本一般男子
ソフボール選手権大会の県予選の決勝戦
で、西部教員に9-1で勝って四国予選の
出場を決めます。

この時の西部教員のエースが日本体育大
学から帰ってきた弘瀬拓生投手で、この
後鴨田体育会に所属を移して何度も戦う
ことになります。

最後は闘犬センターで一緒にプレーする
ことになりますが、このときは想像もで
きませんでした。

そして6月30日、いよいよその日が
やってきます。

山口県下関市で開催された第1回全日本
男子クラブソフトボール選手権大会で
順調に勝ち上がった闘犬センターは、
決勝戦で愛媛県代表の真鍋電工クラブに
7-0で圧勝して、全国大会初優勝を飾りま
す。

前年に初出場した全日本一般男子の大会
に比べるとやはり、当初のクラブ大会は
レベルの低いチームも多く、決勝戦は
四国勢同士の戦いになりましたし、

クラブ大会の優勝旗は闘犬センター、
鴨田体育会、鳴門渦潮クラブ等の優勝が
続き、しばらく優勝旗が四国を出ること
がなく始まった大会でした。

記録を確認してみましたが、昭和55年
に始まった大会ですが、闘犬センターが
第1回、第3回、第4回、第6回から
第9回を4連覇して合計7回優勝、


鴨田体育会が第2回優勝、

鳴門渦潮クラブが第5回に優勝

香川県の浜西石材が第10回に優勝されて
います。

平成2年の第11回大会で山梨クラブが
優勝するまでの、10年間優勝旗は四国内
にとどまっていたことになります。

そしてこの年は10月12日に行われた、
県一般男子秋季ソフトボール選手権東大会
に優勝して終わることになります。

ここで、一つお断りをしておきますね。

このメルマガは高知新聞の記事を25年分
振り返って書いています。

以前にもご紹介しましたが、

「闘犬センター ソフトボール」

で検索すると580件ヒットします。

記事の中には見出しに「闘犬センター」
が出ていないもの、つまり早々に負けた
合はヒットしません。

それまで拾っていたら、いったい何件に
なることやら・・・

という訳で、ヒットしたものだけを元に
メルマガを書いていますので、おのずと
勝った試合ばかりをご紹介することにな
ってしまっています。

この当時は鴨田体育会とは勝ったり負け
たりの繰り返しでしたし、県庁クラブ、
西部オート、野市町体協、安芸体協など
強いチームがたくさんありました。

打力という意味では、全国大会に行くよ
り県予選の方が怖い選手がうようよいた
というイメージすらあります。

だから結構負けていますが、新聞記事が
ないので、ご紹介していません。

というか出来ません。記録も記憶もない
ものですから(すみません。)

決して勝ったことだけを自慢するメル
マガにするつもりはありませんので、
引き続きよろしくお願いします。

決勝戦で鴨田体育会に負けて、帰りに
ドロドロのユニフォームのままドライブ
インに寄ったものの、店の中に入る訳に
もいかず、外の階段に座ってジュースを
飲んでいたら悔しくなって、大の大人が
ボロボロ泣いたのもこの頃です。

悔しかったんです!

けど熱かったんです!(笑)

「もうこんな悔しい思いをしたくない!」

「鴨田に負けない!」

と、一生懸命練習しました!

やっぱり下手でしたけど、この頃が一番
楽しかったと今でも思います。

さて、話を元にもどしますが、このクラ
ブ大会優勝の後大事件が起こります。

この事件が闘犬センターオーナー
弘瀬 勝が日本ソフトボール協会進出の
足掛かりを作るきっかけになります。

次号はこのことについて、詳しくご紹介
しようと思います。

お楽しみに!

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この写真が「鴨田体育会」時代の

「弘瀬拓生投手」です。