
この写真は昨日ご紹介したジャクソン
投手と一緒に来日して、闘犬センターで
プレーしたマーク・ソレンソン選手です。
この時はまだ10代でしたが、ヒゲを
はやしていて、少し大人びて見えていま
したね。
そして次の写真がこれ、

西村君たちが出場した1985年の
第2回世界ジュニア選手権大会で、
ニュージーランドの主砲として活躍して
いる時の、ソレンソン選手です。
この大会日本はニュージーランドには
勝利しますが、4位で終わっています。
そして、ニュージーランドは優勝でした。
この世界ジュニアの大会で活躍していた
西村君と、ソレンソン選手が一緒のチー
ムでプレーすることになるなんて、
どちらも考えていなかったのではないで
しょうか。
人の縁って不思議なものですね。
昨日お話した一般男子の1回戦敗戦の後
ホテルで帰りの荷造りをしている二人の
部屋に行くと、
ソレンソン選手が、
「ミスター弘瀬は、何か言っていたか?」
と聞くので、
「何も言ってないよ。」
と返事しました。
(このやり取りは一応英語でした(笑))
ミスをしたソレンソン選手をかばった訳
でもなく、本当にオーナーは何も言って
なかったんです。
負けは負け、仕方ないです。
こんなこともあります。
負けた原因はソレンソン選手の暴投では
なくて、1点も取れなかった我々にあった
訳ですから。
そして次にソレンソン選手から出てきた
言葉は、
「お前の遠征バッグとこれを交換して
くれ。」
でした。
当時の闘犬センターの遠征バッグは、
とても大きいもので、小学校低学年の
子供さんなら入るくらいの大きさがあり
ました。
それも日本製は品質が良いので、外国人
選手には人気がありました。
そう言われたら断ることも出来ず、
ソレンソン選手のボロボロの布製のバッ
グと交換と言う形になりました。
それからどのくらい使っていたのかは
知りませんが、彼はこの後ニュージーラ
ンドの主力選手として長く活躍されまし
たので、そんな選手が私の遠征バッグを
使ってくれていたとしたら、それは幸せ
なことですね(笑)
遠征バッグを失った私は、その後作り直
すこともなく、小さめのバッグに道具を
無理やり詰め込んで遠征に行くことにな
りました。
なぜ作り直さなかったんでしょうね?
別に悪いことをした訳でもないし、他の
道具なんかたくさん買い替えていたんで
すけど(笑)
今考えると不思議でなりません。
今日はここまでにしたいと思います。
明日からは日本人選手のご紹介に戻りま
す(笑)