
手元にある池澤君の写真はこれしかあり
ません。
不鮮明なもので申し訳ありません。
これもスポーツの持つ、残酷な一面です
ね。
活躍した者のみが大きく取り上げられて、
その陰にかくれてはいるけれども、その
力なくしては勝利は有り得なかった多く
の人たちに、スポットライトが当たるこ
とはあまりありません。
このブログとメールマガジンを書くよう
になって、資料を集めたり、昔の写真を
探してみたりとしますが、出てくるのは
同じような写真しか出て来ません。
ソフトボールマガジンが、
一時期「闘犬マガジン」と呼ばれていた
時期のソフトボールマガジンでも、闘犬
センターの選手が万遍なく紹介されてい
ることはなく、
やはり多いのはピッチャー(西村君は
ダントツですね。)であり、その大会で
活躍した選手がポツポツ載っているって
くらいでしょうか。
闘犬センターの倉庫を整理していた時に
資料の中から、ソフトボールマガジンの
原稿みたいなものが出てきました。
オーナーが日本ソフトボール協会の会長
を務めていた時代のものだと思いますが、
発行前に会長に一旦見せていたのではな
いかな?と思ってしまいました。
まあ、それか何か問題があって会長から
お小言をいただいた出版社(現在の出版
社とは違う会社です。)が、気を使って
何回か事前に送って来たものかもしれま
せん。
全部の原稿があったわけではありません
し、当事者がおりませんので、あくまで
も私個人の憶測ということで。
一時期「闘犬マガジン」とまで言われた
ソフトボールマガジンですが、オーナー
が会長を退いた後は、極端に記事に取り
上げられなくなり、優勝しても白黒の写
真が1枚ポツンと載っているだけみたい
なこともありました。
ここまで極端になるかと思ったことでし
た(笑)
余談が長くなりましたが、レギュラーで
出ているものばかりに注目しがちですが、
せっかく振り返っているのですから、
レギュラー以外の選手にも目を向けて
みないといけないなあと、思わせてくれ
たフェイスブックへのコメントでした。
闘犬センターは強烈な個性の集団でした。
その強烈な雰囲気になじめないと、生き
て行けない、居場所がない感じになりま
す。
その為、せっかく良い能力を持っていて
もその能力を生かせられない選手もいま
したし、誘っても
「私は闘犬では、ようやりません。」
と断られることもありました。
外から見るととんでもない世界に見えた
みたいですね(笑)
中に入ると意外とそうでもなかったんで
すよ。
ただ、自分から前に出るような押しの強
さがないとキツイですし、実力もないく
せに、口だけ前にでるような選手はすぐ
につぶされていまいますから、なかなか
難しかったですね。
あと、闘犬センターが嫌いで、いくら
誘っても入部してくれなかった選手も
多くおられました。
今日の写真の池澤君なんかも、他のチー
ムにいれば声も良く出るファイトマンと
いう選手なんですが、当時の闘犬センタ
ーの中では、目立たない地味な選手とい
うイメージになってしまうんですね。
高知PWでは、正捕手として、そして
ベテラン選手としてしっかりチームを
まとめて、けん引していましたので、
人間てその置かれた状況や立場で、役割
も個性もさらにはその能力や人間性まで
違って見えてしまうのかなと、少々怖く
なってしまいました。
闘犬センターの選手の中にも、試合中は
すごく恐かった人が、普段はとても優し
かったり、小心者だったりする人もいま
したし、試合中は大人しいんだけど、
一旦怒り出すといつまでもブツブツ
怒っている人もいました。
中には本当に変わり者もいましたので、
周りのみなさんには理解できないチー
ムだったとは思います(笑)
私自身も過去の嫌なことは忘れようと
しているみたいで、ちょとずつ美化し
て思い出ににているところがあります。
気をつけてご紹介していかなければと
再認識しております。
タイトルとは程遠い内容のブログになっ
てしまいましたが、今日はここまでに
したいと思います。
明日は大館さんに戻りたいと思います。
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まぐまぐで発行していますメールマガ
ジン第21号昭和59年(その1)を
発行しました。
よろしければそちらも読んで見て下さ
い。