
昨日ご紹介した4人のキャッチャーを
順番にご紹介していこうかと思って
いたところ、
私のブログをシェアしてくれている
西村君のフェイスブックと、私の
フェイスブックにコメントがありま
した。
「池澤君は?」
あれあれ、そう言えばキャッチャーと
して、闘犬センターに所属していたの
は、あの4人だけではなかったぞ!
思い出しました。
すみません(汗)
写真の選手大倉君と池澤君がおられま
した。
大倉君は高知農業を卒業後、闘犬セン
ターに就職して、ソフトボールをして
いました。
高校時代は4番を打っていたそうですの
で、それなりの自信もあって入部して
きたと思いますが、大館さんがおられ
ましたので出場の機会はなかったですね。
手元にある資料で彼の写真は、この写真
くらいしか見当たりませんが、彼の存在
も控えのキャッチャーとして大きなもの
だったと思います。
練習の準備、遠征の準備等頑張ってくれ
ていました。
お酒が入ると少し強気になって、だんだ
ん杯を持つ手の脇が開いてくるという、
面白い男でした。
サードで不動の4番バッターの佐竹君と
同級生でしたので、大倉君としては
「俺は高知農業の4番バッター、佐竹も
高知工業の4番バッター。」
という認識で、闘犬センターでの初対面
の時に、
「おい。佐竹!]
と呼びました。
すると、プライドの塊のような佐竹君か
ら
「なんでお前に、佐竹と呼ばれないかん
!」
と怒られてしまって、それ以降ずっと
「佐竹さん。」
と呼んでいました(笑)
もう一人の池澤君は高知工業出身で、
元々県庁クラブでプレーされていました。
国体の補強で一緒にプレーしたのが最初
だったと思います。
シュアーなバッティングもされていまし
たので、それを見込んだ杉本さんの肝い
りで入部してきたんだったと思います。
これはよくあったことなんですけれど、
他のチームでプレーしている時はすごく
目だっていた選手が、闘犬で一緒にプレ
ーしてみると、あまり目立たないという
ことがありました。
普段は当たり前で何とも思っていないの
ですが、闘犬センターの選手の能力の高
さを認識させられる一場面です。
池澤君も控えのキャッチャーとして、
練習やブルペンで頑張って闘犬センター
を支えてくれていました。
本人は井上選手のマッサージが仕事だっ
たと言っているようです(笑)
試合に出場するためには、まずチーム内
での競争に勝たないといけません。
大倉君も池澤君も残念ながら、その勝負
に勝つ力がなかったということでしょう
ね。
池澤君はその下積みの経験を生かして
(?)、高知PW時代には正捕手として
活躍されます。
そして、ソフトボールマガジンにも
「キャッチャーへのアプローチ」
という連載もされていました。
今読み返してみても、よく考えられた
文章であり、闘犬センター時代にこの
能力をどこに隠していたんだろう?と
首を傾げたくなります(笑)
この能力を見抜けなかった私たちの方
に問題があったのかもしれませんね。
このブログも主力選手ばかりの紹介を
することが多くなりがちですが、
この二人以外にも25年間に所属した
選手全ての力があって、この歴史が
残ったんだと再認識させられました。
みんなは元気なんでしょうか(笑)
今日はここまでにしたいと思います。