
昭和53年から昭和61年までの、
高知新聞の記事のコピーが集まり
ました。
まだまだ先は長いですが、25年分
全部集めると、どんな量になるか
楽しみというか、恐ろしい気もします。
監督シリーズも一段落しましたので、
次のシリーズを考える時間をいただく
ために、メルマガをちょっと続けて
ご紹介していこうと思います。
では、
第3号のメニューはコチラです。
■チーム誕生まで(その3)
■編集後記
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■チーム誕生まで(その3)
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初代監督田中規夫氏への取材の続きです。
結成時の闘犬センターの中心となる
メンバーがだいたい決まると、練習場所
や道具の準備が始まりました。
最初の頃のグランドは近くの小学校の
グランドや、空き地というのが普通でし
た。
違っていたのが道具で、最初からグラブ
は硬式用の高級グラブが支給されました
し、スパイクもカンガルー革と当時まだ
高校生であった私などは、そんな高級品
など見たこともなく
「どれでも好きなもの選べ」
と言われて、値札ばかり見ていたことを
覚えています(笑)
結果一番高い物は避けて二番目くらいの
価格のグラブとスパイクを選んだような
気がします。
その後闘犬センターの道具は、全てオー
ダーとなり、プロ野球選手と同じクラス
の道具を惜しげもなく使い続けることに
なります。
個人負担金はもちろんありません。
クラブチームで25年もの長い間活動が続
けられて、強くなれた要因はここにも
あります。
ソフトボールにかかるお金はオーナ-が
すべて負担してくれました。
道具代のみならず、遠征費、遠征中の
飲食代、遠征に着て行くジャージ、
Tシャツ、靴、たばこにいたるまで
支給されました。(勝手に買っていた
んですけどね(笑))
この待遇はひょっとすると実業団の選手
よりも良かったのかもしれません。
このことに関しては感謝の言葉しかあり
ません。
話がずれましたので、元に戻します。
闘犬センターのあった高知市浦戸地区に、
浦戸体育会という歴史のあるソフトボー
ルチームがありました。
このチーム高知県でもベスト8とか
ベスト4に残ったりすることもある
チームで、自分のチームが出来ること
になったオーナー弘瀬勝氏は、
浦戸体育会のメンバーにそのことを
報告します。
しかし、実績のある浦戸体育会のメンバー
にはいくら朝倉体育会のメンバーが入った
と言っても、それ以外は高校を卒業した
ばかりの子供の入った寄せ集めのチーム
としか評価されず、相手にされなかった
ようです。
思い出してください。このオーナー他人
にバカにされることが嫌いで、ソフト
ボールチームを作ろうとした人でしたよ
ね。(サンプル号、第1号を見てくださ
い。)
朝倉体育会のメンバーが入ることになり、
その実力を関係者に聞いたオーナーの頭
には、地区のソフトボールチームを見返
すことなどなくなっていました。
高知県の強豪チームのオーナーになった
くらいのつもりでいたのに、今度は
浦戸体育会というチームには相手にされ
なかったのです。
またファイトが湧いてきした。
道具は一流のものを使え、ユニフォーム
は他の誰も着ていない格好の良いものし
ろと注文が増えてきました。
それで闘犬センターの最初のユニフォーム
は全身真っ黒の、それを見た子供たちが、
「忍者みたいやね。」
というような奇抜なものになりました。
これまでの行動力のエネルギーは
「反骨心」
だけだったと言ってもいいと思います。
ただこの「反骨心」はずっと闘犬センター
の強さの根幹をなすものとなります。
田舎のクラブチームという目は、当初
当たり前のようにありました。
それを見返すために、クラブチームしか
出来ないソフトボールを目指したのも
事実です。
実業団にバカにされないチ-ム
実業団に出来ないソフトボール
野球上がりにバカにされないソフト
ボール
闘犬センターが強豪チームやエリート
チームに対して、猛烈なファイトを
前面に出して戦い、負けなかった理由は
「反骨心」
にあります。
正直、日本リーグ加盟の実業団チーム
から高知のクラブチームとバカにされ
て、くやしかった経験が結成当初は
ありました。
この辺のお話は、もう少し後にも出てく
るのでこのくらいにしておきますが、
正式登録前のこの時期はプレッシャーも
なく、楽しい時期だったのかも知れませ
ん。
第3号はここまでにしますね。
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これを書いたのが、昨年の9月になりま
す。
何かもっとずっと前のような気がするく
らい、読み直していて「反骨心」を
繰り返している自分が、おかしいくらい
でした(笑)
この時は当時のソフトボール界に対する
「反骨心」が蘇っていたんでしょうね
(笑)
まだまだですね(笑)
明日もメールマガジンをご紹介します。