監督(その40) | ソフトボールを愛する人にお届けするブログ

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写りが悪くてすみません。

西村監督の胴上げの写真になります。

平成14年、創部以来ちょうど25年の
この年に、闘犬センターの消滅を迎える
ことになります。

正確に言うと、「闘犬センター」という
名前での活動は、その前年に終了して、
最終年は「オール高知」と言う名前での
活動ではありましたが、選手もユニフォ
ームも、「闘犬センター」そのものでし
たし、私たちも「闘犬センター」で戦っ
ていました。

この年がこのメンバーで戦う最後になる
ということは分かっていましたので、
シーズン前から今後の身の振り方を模索
しながらの、これまでとは違った気持ち
でのシーズンになりました。

最後という気持ちがそうさせたのでしょ
うか、いつもならシーズン当初によくあ
る取りこぼしもなく、日本リーグがスタ
ートします。

実業団に比べて練習量の少ないクラブ
チームである闘犬センターは、日本リー
グの第一節は調整が十分でないこともあ
って、全勝でスタートしたことはほとん
どありません。

シーズンが進むにしたがって、試合勘も
もどり、調整も出来てくるので、後半は
なかなか負けないということが多かった
よいうに思います。

他のチームからは、

「そのくらいでないと、闘犬が独走して
 終わってしまうので、面白くない。」

「最初、何敗かしてくれて丁度ですよ。」

って言われていました(笑)

この年は第三節までを順調に全勝で
通過して、その後の全日本総合選手権
も優勝。

そして、ここ数年の最大のイベント
地元高知での国体を迎えます。

地元高知での開催ということもあって、
優勝が義務づけられた国体でもありま
した。

しかし、オーナーは何か感じていたよう
でした。

NHKの国体中継でソフトボール競技の
決勝戦が放送されることになっていまし
た。

オーナーの地元鏡村(現在の高知市鏡)
での開催でもあり、当然成年男子の中継
で決定かと思っていたら、オーナーの口
から出た言葉は、

「中継は少年男子の決勝にする。」

「え、成年男子じゃないが?」

オーナーには、成年男子が優勝しないと
いう予感でもあったのでしょうか?

しかし、この予感は的中してしまいます。

準決勝で高知県出身者の多く登録してい
た愛知県に負けて、決勝戦進出を逃して
しまいます。

私にもイヤな感じがありましたので、
試合前ではありましたが、選手を集めて

「この試合はどうしても勝たないかん。」

「地元で格好良く勝ちたいという気持ち
 は分かるが、負けるのが一番格好悪い
 ことになるぞ。」


「とりあえず1点取るまでは、必死でや
 ろう!」


「この間の全日本総合の決勝戦にのよう
 な闘い方をしたら、絶対に負けない。」


と声をかけます。

この言葉も、プレッシャーになったのかも
しれません。

相手の村里投手もすばらしい投球で、
得点を与えてくれません。

さらに、地元凱旋で奮起した高知県出身
の選手の活躍で、リードを許してしまい
結局敗退して、三位になってしまいます。

この時試合を見に来ていた元高知新聞社
の運動部長さんに、

「社長は、これを予想しちょったがで
 しょうかね?」


「だとしたら、すごいですね。」

と話したことを覚えています。

この敗戦は、相当こたえました。

闘犬センター最後の年、それ地元での
国体開催を優勝で終わることが出来なか
ったのです。

ショックでしたし、気も抜けてしまいま
した。

ただ、シーズンはこれで終わりではあり
ませんでした。

第三節を終了して、マジック1としてい
た日本リーグの第四節が残っていました。

私はもう優勝も決まっているということ
もありましたし、国体で気持ちが終了し
てしまっていたので、参加していません。

チームは西村監督と選手と杉本さんで、
栃木県那須町で開催された第四節、
最終節に臨みます。

本当にこれが最後と気持ちの入った
闘犬センターは強い!


危なげなく全勝優勝を飾り、有終の美を
演出してみせました。

その瞬間でした。

思いもよらないことが起こったというの
です。

試合終了後、選手が自然と集まり、
最近は、報道にでも依頼されない限り
やったことのない「胴上げ」が始まった
というのです。

西村監督、杉本さん、、、、、

後からこのことを聞いた私は、

「おいおい、そんなことをするがやった
 ら言うちょってくれんかい。」


「参加したかったやんか。」

昭和53年の創部から平成14年の
25年間を、ほぼ全部見続けてきた
唯一の男(途中4年逃げてましたが)
の私としては、この瞬間にこの場所に
いなかったことを、後悔しましたが、
もう後の祭りでした。

結局、この年負けたのは国体の準決勝の
1敗だけという、素晴らしい成績で最後
のシーズンを終えることになりましたが、
この1敗は大きな1敗となりました。

出来ることなら、全勝での完全制覇とい
う形で、幕を降ろせたら最高だったとは
思いますが、これまでの戦歴を振り返っ
ても、贅沢な希望だったのかもしれませ
ん。

これで25年間、四半世紀続いた
「闘犬センター」の活動は終了しました。


始めた時は地元の小さな大会で勝つこと
が目的だったチームが、高知県一になり、
全国大会に出場する、全国大会で優勝す
る、実力日本一になると、どんどん道を
切り開いていくことになるなんて、誰も
考えていなかったことでした。

その25年間には様々な方たちとの出会
いもあり、成長させていただきました。

やり方に問題もありましたので、色々と
ご迷惑や不愉快な思いをさせてしまった
ことも多くありましたので、この振り返
りをしながら、その当時を思い出し、
恥ずかしくなったり、反省したりの毎日
でした。

今更ではありますが、本当にすみません
でした。

オーナーを始め、チームの振る舞いその
ものが「わがまま」な時もありました。

現在OBたちが、それぞれの場所で少し
ずつではありますが、ソフトボールへの
恩返しをさせていただいています。

どこかでお目にかかることがありました
ら、遠慮なく

「教えて。」

と声を掛けてくださいね。

みんな、怖くないですから(笑)

今日はここまでにしたいと思います。