
この写真は熊本国体に、優勝した瞬間の
写真になります。
この写真に写っている選手がすごいです
ね。
握手をしているのが、岡豊高校から日本
体育大学を経て闘犬センターに入った、
梅下選手です。
彼は指導者としても岡豊高校を全国優勝
させて、ジュニアの世界選手権の監督と
しても、その手腕を発揮しました。
10番はこの選手も岡豊高校出身で、
この時代の、不動の4番打者岡本選手
です。
全日本の4番も長く務めて、現在は
高知パシフィックウェーブの監督券選手
をされています。
さらに、昨年からは高知ソフトボール
協会の理事長をされていて、人間的にも
大きく成長されました(笑)
23番も岡豊高校出身の江口選手です。
岡本選手とは、高校からの同級生で、
二人で、
「どっちが頭悪い?」
とレベルの低い争いをしていた悪友です
(笑)
彼は、闘犬センター消滅と同時にトヨタ
自動車に移籍して、現在は男子ソフトボ
ール部の監督をしています。
こうやって見てみても、闘犬センターっ
てすごいメンバーが集まっていたんだな
あと、改めて思ってしまいます。
もう一人写っているのが、ご紹介を忘れ
ていました西村投手のおかげで、日の目
を見ることのなかったピッチャーの一人
の、岩見投手になります。
彼も岡豊高校から日本体育大学に進学し
て、闘犬センターに入部してきました。
この選手も他のチームなら、十分に
エースとして活躍できる能力の持ち主で
したが、闘犬センターではその実力を
発揮することないままになりました。
現在は中学校の教員として、ソフトボー
ルの指導に当たっています。
ご紹介するのが抜かっていたのを、この
写真を見て思い出しました。
すみませんでした、岩見君(汗)
さて、西村君の監督としての苦悩を
ご紹介していきましょう。
まあどの歴代監督も同じことが言えます
が、オーナーの元で監督をする面倒臭さ
が、もっともストレスの溜まることだっ
たと思います。
初代の田中規夫さん以外は、闘犬センタ
ーの社員でもありましたので、ソフトボ
ール以外での雑務もあったり、オーナー
がソフトボール以外のことでイライラし
た時に、いわゆる「八つ当たり」の標的
にされることも、よくありました。
突然怒られるのですが、訳が分からない
んですね。
何もやっていないのに怒られる。
気をきかせて、先にやっていたら怒られ
る。
西村君の言葉を借りると「理不尽」な
ことが、まかり通る会社でした。
二代目杉本さん、三代目家竹君、四代目
西村君とも、就任当時は闘犬センターの
社員でしたが、それぞれ事情もあって、
途中で退社をして監督を続けられました。
激務でしたね。
初代から三代目までは野手です。
四代目の西村監督は投手でした。
それも、バリバリ自分で投げて勝たない
といけない、状況でもありました。
試合前にはオーナーに電話して、先発
メンバーの確認、試合の進め方の指示を
聞かなければいけません。
こんなことをしていたら、試合前のアッ
プもままなりませんし、集中もできませ
ん。
さらに、試合中はサインを出したり、
選手交代を指示したりと、休む間もあり
ません。
これは、いくら西村監督兼選手がスーパ
ースターであっても、とても負担のかか
ることでした。
幸い杉本さんと私がフォローについて
いましたので、極力その負担を軽くしよ
うとはしていましたが、それでも監督は
やっぱり西村君なんです。
精神的負担は想像を超えたものだったと
思います。
ちょっと目を離していたら、突然西村監
督の表情がくもっているなんてことも、
よくありました。
そのちょっとの間に、オーナーが直接
西村監督に電話してきて、ワンワン言う
たということもありました。
この熊本国体の時もそうでした。
チームのことではない、県の協会のある
人物の言動が気に入らないので、西村監
督に「ああしろ!」「こうしろ!」と
指示が入るのです。
全く関係のないことでイライラして、
現地にいる西村監督にその処理をさせよ
うとするので、状況が好転するのにも
時間がかかりますし、いろんな人の思惑
が渦巻いているので、事が治まっても
すっきりしないんですね。
この時はあまりにも関係ないことでした
し、話しも進まない。
さらに、西村監督の表情もどんどん冴え
なくなってきたこともあって、
「西、お前が止める言うたらええわや!」
「試合棄権して帰ろうぜ!」
とまで言ってしまっていました。
ここまで言ったのは、長い闘犬センター
の歴史の中で、この時だけだったと思い
ます。
ちょうどホテルで夕食を摂っていた時で
したので、選手には
「ちょっとホテルで待機!」
「最悪、帰ることもあるき!」
と指示をして、状況確認をしていました。
闘犬センターの選手はこのくらいのことで
は動揺しませんが、隣でご飯を食べていた
地元熊本県チームの選手が、ザワザワして
いましたね(笑)
この熊本県チームの監督は、闘犬センター
でも活躍した深見監督でしたので、彼だけ
は落ち着いていました。
「何かあった?」
「ん、いつものことよ!」
「ふ~ん。」
こんなものでした(笑)
結局、この国体棄権まで考えていた事件も
当事者の県協会の役員がオーナーに詫びを
入れてきたということで、あっという間に
解決。
さっきまでオーナーの機嫌の悪さは何だっ
たのかというほどの上機嫌になり、
「そんなら、頑張れよ!」
の明るい励ましの電話で一件落着となり
ましたが
私たちの心の中には、モヤモヤが残る結果
となりました。
監督や選手は純粋にソフトボールをやって
いるだけです。
そこにオーナーが、いろいろな事を持ち込
んでくることが面倒でした。
ソフトボールで苦労すること、負けること、
イライラすることなんかは、何とでもなり
ます。
いくら強い闘犬センターでも、そんなこと
はいくらでもあります。
どうしようもないのは、絶対的君主の
オーナーのわがままでした。
そういう意味でも、このチームの監督は
大変だったと思います。
何か思い出して、疲れてきたので、今日は
ここまでにしますね(笑)