監督(その37) | ソフトボールを愛する人にお届けするブログ

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この写真の投手は植村投手と言います。

彼の所属した時代のエースは、勿論
監督兼選手の西村君で、二番手(ビー
ス)は中京大学出身の大木投手であり、

西村投手に憧れ、西村投手の影を追い
かけ続けて、もくもくと努力を続けて
いたのが、三番手(シース)の植村君
でした。

昨日ご紹介したように、闘犬センター
に所属したピッチャーは、大エース
西村投手の存在によって、登板の機会
がない、つらい立場に置かれていました。

闘犬センターは表向き

「国体強化のために活動する。」

とオーナーが言い出した時から、県内
で予選に出場することもなくなりました
ので、さらに二番手以降の投手の公式戦
での登板の機会は少なくなっていました。

このことについては、機会を改めて

「闘犬センターのやり方(?)」

としてでも、裏話をご紹介しないといけ
ないと思っています(笑)

さて、このシースの植村投手がその
ポテンシャルの高さを証明する時がやっ
てきます。

それは闘犬センターの活動の最終年、
平成14年に開催された、第48回全日本
総合男子選手権大会の決勝戦のことです。

厳密にいうと、闘犬センターは前年に
巨額の負債を抱え民事再生法の申請という
状態になっていて、私たちはこの年

「オール高知」

という名前で活動をしていました。

しかし、胸のマークは「KOCHI」
国体用のユニフォームを着用してはいまし
たが、それ以外は姿も心も

「闘犬センター」

でした。

そして、この年がこのユニフォームを着て
試合をする最終年であることも分かって
いましたので、試合への思い入れも少し
違っていたかもしれません。

これも違う機会にご紹介しますが、この年
の日本リーグは、全勝での完全優勝で、
闘犬センターの最後を飾っています。

すみません、いつも話しが逸れますね。

この日準決勝は西村投手が登板して、
レッツフジトさん相手になんとか勝利して
決勝戦に進出しますが、それまでに故障を
抱えてごまかしごまかしやってきた体も、
ついに限界を超えてしまいました。

「もう無理です。」

西村投手から出た本音だったでしょう。

ところが二番手(ビース)の大木投手は、
この大事な時に「腰痛」で使い物にならず!

残るは三番手(シース)の植村投手しか
いません。

「よし、キヨで行こう!」

「キヨで勝って、やっぱり闘犬は強いって
 ところを、みんなに見せるぞ!」


植村投手は植村喜世久という名前でしたので、
メンバーからは、「植村」か「キヨ」と
呼ばれていました。

そのメンバーの総意でした。

決勝戦は日新製鋼です。

西村投手が投げても、そう簡単には勝てな
い難敵でした。

けれど、この試合の闘犬センターは違って
いました。

絶対的エースの姿はありません。

頼っているわけにはいかないのです。

声も良く出る。

みんなで勝とう!

植村投手を励まそう!

いつもこんな気持ちで試合が出来たら、
絶対負けないなと思わせる、闘犬センター
の長い歴史の中でも、秀逸の試合だったと
思います。

植村投手も頑張りました。

日新製鋼打線に付け入る隙を全く見せず、
完封してしまいます。

打線も飯田投手に苦戦しましたが、6回
表に1点を取って、1-0で優勝しました。

試合なんてこんなものですね。

日新製鋼としては、西村も大木も投げられ
ないと聞いた瞬間に、「勝った」と思った
ことでしょう。

まさか三番手のシースに完封されるなんて
ことは想像もしていなかったでしょうが、

この三番手、ただ者ではありませんでした。

普段対戦していないというアドバンテージ
はあったでしょう。

しかし、この植村投手は西村投手に憧れ、
日々フォーム、変化球をまねしながら、
努力してきた選手です。

他のチームのシースとは、レベルが違い
ました。

スピード、コントロール、ドロップ、
どれをとっても、見事な投球でした。

「闘犬は、三番手でも優勝できるぞ!」

所属する選手のポテンシャルの高さを証明
した、誇らしい試合でした。

植村投手は私の高校の後輩です。

高知県立大正高校という四万十川の中流域
にある、小さな高校です。(現在は校名が
四万十高校になっています。)

この高校出身で、全国大会で優勝投手に
なったのは、私と植村投手の二人です。

私が優勝の瞬間にピッチャーサークルに
居たのはクラブ大会ですから、彼の方が
上かもしれませんね。

うらやましいー!

くやしい~!!!

けど、良くできた後輩です(笑)

今日はここまでにしたいと思います。

明日は、ブログのタイトル監督としての
西村監督の苦悩について、ご紹介したいと
思います。