監督(その34) | ソフトボールを愛する人にお届けするブログ

ソフトボールを愛する人にお届けするブログ

ソフトボールがもっと上手になりたい、勝ちたい、テクニックが知りたい方に、カリスマたちの貴重な情報をお届けします。



この写真には、昨日ご紹介した
背番号「1」の私と、その前を歩く
西村君が写っています。

9月頃の写真ですので、この頃には
すっかりピッチャーを諦めていた頃だと
思いますので、この後からはずっと西村
君の後ろを付いていくと人生を暗示して
いる写真ですね(笑)

さて、今日は西村選手の想いをご紹介し
ていきます。

彼が自分の21年間を振り返った文章の
中から、闘犬センター時代の苦悩を語っ
ている部分を中心に、ご紹介します。

見出しは

「負けて怒られ、勝っても怒られ。
 土佐のいごっそうに育てられた。」


で始まっています。

入部後、最初の日本リーグはうまく行き
ませんでしたが、その後そのスピードを
生かして活躍を始め、ジュニアの世界選
手権の出場と経験を積んでいきます。

周囲の注目と、マスコミの評価が高まる
中チーム内と西村君本人はどう思ってい
たのでしょうか?

『ニューヒーロの誕生。周囲の視線が
 一点に集中する。しかし、当の西村に
 その自覚はなかった。

「高校を卒業したばかりの田舎者が、
 試合を通じて少しずつ洗練されて
 いっただけのことで、自分で自分を
 すごいと思ったことはないですね。」

「気難しい先輩たち、”いごっそう”に
 育ててもらったので、天狗になる暇が
 なかったというか(苦笑)。」

「フォアボール1個でげんこつ1個やら
 れましたから(笑)」

「僕がホームラン打つと、見方から相手
 投手に野次が飛ぶんですよ。」

「なんで打たすんじゃ!」って。

「ベンチに帰ってもハイタッチなんて
 ナシ。 みんな、自分がヒーローになり
 たい(笑)
 負けて怒られ、勝って怒られですよ。」


いごっそうの背中には、自らの生活を犠牲
にしてソフトボールに打ち込んでいること
へのプライドが満ちていた。

アマチュアであっても意識はセミプロ。
その精神に共鳴できたから、ゲンコツも、
理不尽な(?)な野次も、西村は受け入れ
ることができた。』

(中略)

中見出し『リズム作りが投手の仕事』

ニュージーランドへの修行を経て、彼は
すごい投手へと変貌をとげます。

投げれば完全試合、ノーヒットノーラン、
12連続奪三振となかなかバットに当てる
ことさえも困難な時代を振り返っています。

さぞや、投げていても楽しかったのでは?
確信を抱きながらの問いかけだったが、
西村は安易に同意しない。

「三振を15個も16個も取って完全試合
 ペースになると、バックは冷たいですよ
 (笑)。」

「やるなら一人でやれ、こっちに打たすな
 よって。」

「三振を取りすぎてもバックのリズムが取
 れない。いつ打球が飛んでくるか分から
 ないから、1球1球集中しなくちゃいけ
 ない。」

「完璧に抑えられればいいんですが、三振
 か四球では、野手の集中力がもたないん
 ですよ。」


こんな風に振り返っています。

ライターさんが手を加えている部分もあっ
て、読みやすくなっていますが、ほぼほぼ
事実だと思います(笑)

解説を加えますね(笑)

ハイタッチは無い時もありましたし、有っ
た時もあります。これは写真がありますの
で、明日ご紹介します。

0-0の試合なんかで、それも三振かフォア
ボールばっかり。たまに飛んできたら
ボテボテの当たり。

それもキャッチャーの要求通りのコースに
なんか行きませんから、思いもよらない
ところに飛んできます。

守りでリズムを作ってなんて雰囲気では、
全くありません。

ですから、西村投手の試合、特にコントロ
ールに難のあった時代は、なかなか点の
入らない試合が多くなりました。

そこで、西村選手がホームランを打って、
1-0なんかで勝つわけですよ。

もう

「勝手にやれ!」

ですよね。

分かっていただけますよね?
私たちの気持ち。

先日西村君がこのブログに

「理不尽という言葉を覚えました。」

とコメントしてくれていましたが、

私たちもこの理不尽な(?)状況を受け入
れていたのです(笑)

今日はここまでにしますね。

明日は「ハイタッチ」の写真と、引き続き
西村選手の心に迫ってみたいと思います。

私たちは決して「悪魔」ではなかったこと
を、証明してみせます(笑)