監督(その33) | ソフトボールを愛する人にお届けするブログ

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この写真は闘犬センターのエースと
呼ばれ始めたころの、写真になります。

しっかり胸を張った良いフォームです
ね。

彼のフォームは早くて良く分からない
んですが、単純に筋力がすごいだけで
はなくて、部分部分を見ると速くて、
強いボールが投げられるようになって
いるんです。

後ろがすごく大きくて、タメが出来て
いるとかもそうです。

しかし、その大きなタメを作り出し
ている強い背筋力に負けないように、
前に引きだしてこないといけない
大胸筋にはすごく負担がかかります。

そのために大胸筋は悲鳴をあげ、部分
断裂を起こして、ガタガタになりなが
ら投げていました。

西村君、やっぱりあなたの体は凶器
です(笑)

さて、昨日の続きに戻ります。

西村選手の入部する前のシーズンオフ
のある日、私は闘犬センターにいました。

ご飯も終わってそろそろ帰ろうかなと
思っていると、オーナーが

「話がある。」

と言い出しました。
何だろうと思ったら、

「来年から背番号を1に変えてくれん
 か 。」


「はい?1番ですか。イヤです。」

「そう言わんと1にしてくれや。」

「恰好悪いんで、イヤですよ。」

「ワシはエースの背番号は1やと思う
 がよ。」


「お前の背番号1が見てみたい。」

ちょっと説明をしますね。

闘犬センターの初代のエースは、監督の
田中規夫さんの弟の田中睦三さんでした。

その田中睦三さんのつけていた背番号が
「1」でした。

オーナーにはそのイメージがあったんだ
と思いますが、高校生じゃあるまいし、
「1」はないろう!っていうのが私の
思いでした。

しかし、一旦言いだしたらそれを受け入
れない限り、この話しは終わりません。

ということは、帰れないということなん
です(涙)

しぶしぶその提案を受け入れ、帰宅する
ことができました(笑)

こんなことを言っていたオーナがですよ、
4月になって西村選手が入って来たとた
んに、

「西村で行け!」

と言って、私の投げる場所を奪うわけで
すから、意味がわかりませんよね。

1月27日の監督(その19)でご紹介
した登板が、私の日本リーグ最後の登板
になるなんて、そしてこの年でピッチャー
をやめることになるなんて、誰が想像で
きたでしょうか。

そうです、西村君には全く責任はありま
せん。

全てはオーナーの責任です。

私は自らの決断でピッチャーをやめまし
たが、それは決して西村君に負けたと
思って退いたわけではなくて、どれだけ
走って、練習して、調整してもゲームで
投げられないんだったら、ピッチャーを
やっている意味はないという判断をした
だけだったんですね。

ですからどれだけ西村投手がすごい
ピッチングをしようが、完全試合をしよ
うが、負けを認めることはありませんで
した。

やることなすことが、私のピッチャーと
しての居場所を奪うことだったんです。

ちっちゃーいですね(笑)

この際なので言っておきます。

日本リーグで一番最初に完全試合をした
のは私です。

次が住金の渡辺投手(高知工業出身)で
した。

この記録が二人くらいの時は、大会の
パンフレットの記録の欄に記載されていた
のですが、全盛期の西村投手はと言うと、
投げれば完全試合、ノーヒットノーランと
なっていましたので、そのうち書ききれな
くなって、記載がなくなってしまいます。

この男の存在は・・・・(笑)

そんな経緯ですので、私がこの男本物だ
とはっきり認識して、実力で負けて
ピッチャーが出来なくなったんだと心の
中で認めたのは、彼が監督になって杉本
さんと私が復帰した時でした。

私はトレーナーとして彼の体を見ていま
したので、長年の酷使によってあちこち
ボロボロになりながら投げている姿、

さらには人の見ていないところでこつこつ
走ったりしている姿を見て、

「こいつには、かなわないな!」

「日本一にピッチャーや!」

と認めました。(遅い)

西村投手の出現は、日本のピッチャーの
レベルを上げましたし、西村投手を打つ
ということでバッターのレベルも上げま
した。

日本のソフトボール界に対する彼の
貢献度は、計り知れないものがあります。

ですから、彼は今全日本の監督をやって
いるんだと思います。

普通このような人事には異論の一つや
二つあってもいいんでしょうけど、彼の
就任に異論を唱える者がいないことが、
その実力と人格を証明していると思い
ます。

最後に私が西村投手に負けていない唯一
の記録をご紹介して、人生最後の負け惜
しみをしたいと思います(笑)

私の記録が今も残っている部門がありま
す。

最少投球数という部門です。

全日本総合(昔ですので私の時は一般
男子でした。)の記録は

1試合51球

日本リーグ

1試合59球

たぶんこの二つの記録は、今後抜かれる
ことはないと思います。

飛ぶボールと飛ぶバットの時代になって、
打たしてとるなんてソフトボールは、
もうどこにも存在していないような気が
します。

さすがの西村投手でもこの記録には、
手が出せない部門でした。

三振取れるピッチャーはダメなんです(笑)

打てそうなんだけど、ちょっとずれる、

打てそうなんだけど、ちょっと差し込まれ
る、

絶妙なコントロールと凄みのなさ、これが
ないとこの記録は生まれません(笑)

けど、ピッチャーをやっている以上、
みんな西村投手のようになりたいんですよ
ね。

そのために、しんどくても走ったり、
トレーニングしたりできるんです。

私もそうでした!

けれど、私では西村投手のような投球は
出来ませんでした(悔しい~!)

すみません、今日は私の話しになってしま
いました。

明日は、西村選手の気持を中心にご紹介し
ますので、ご容赦ください。