監督(その32) | ソフトボールを愛する人にお届けするブログ

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この写真が昨日ご紹介した、西村選手
の高校時代の大きな壁、高知学芸高校
時代の有吉投手です。

投げても打っても超高校級の、すばら
しい選手でした。

高校卒業後1年だけ闘犬センターに
所属して、その後東海大学に進み、
高知に帰ってからは、闘犬センターを
倒すことに情熱を燃やして、頑張って
いました。

このあたりの詳しいことは、記録を
振り返っているメールマガジンの方で
ご紹介出来ると思います。

さて、西村選手に戻りましょう。

以前フェイスブックで少しご紹介した
ことがありましたが、時々私に次の
ように聞いて来る人がいます。

「西村と球児とどっちがすごかった?」

球児とは元阪神タイガースの絶対的抑え
で、今年からテキサスレンジャーズに
移籍した、藤川球児投手のことです。

私が治療院をしていて、彼のお父さんと
知り合いだった関係で、中学校卒業前か
ら彼を約10年間ほど治療していたとい
う経緯があって、高校卒業時の二人を
タイムリーに見ていたから、このような
質問になったんだと思います。

結論は

「どっちもすごい。」

でしょうか。

ただ、野球センスみたいなものは甲乙
つけがたいくらい、二人とも良いセンス
を持っていました。

筋力は西村君の方がはるかに上。

関節の柔らかさは球児の方が上。

それぞれ特徴がありますよね。

けれど何と言っても18才の子どもです。
その後二人があのような活躍をするなん
て、想像も出来ませんでした。

西村君はソフトボールを、球児は野球を

「続けた」

ことで、その後の成功を手にすることが
できました。

二人とも順風満帆ではありませんでした
し、何回も辞めたいと思ったと思います。

その苦しんでいる姿も実際見てきました。

楽しいことばかりではないですが、続ける
って大切ですね。

つくづくそう思うこの頃です(笑)

本題に戻りましょう。

西村選手は闘犬センターの社員でした。
これも彼を苦しめる大きな要因になりま
した。

年末西村君と二人で食事をして、お酒を
飲む機会がありました。

長い付き合いですが、二人きりで飲んだ
のは、初めてでした(笑)

彼の口から出たのは、

「とりあえず何かあったら、怒られるの
 は僕でしたよ。」


「会社で集合がかかると、違う人がやっ
 たことでも、その人を怒れないので、
 代わりに怒られるのは、いつも僕。」


その光景はすぐに目に浮かびましたので、
大変やったねと同情はしました。

けれど我々にしたら、ソフトボールに関
すると、西村は特別扱いだったんです。

なんでもかんでも「西村」だったんです。

だから、我々も彼に対してはきつかった
んですね(笑)

ホームラン打って帰ってきても無反応。

打たした相手投手に対しては

「こいつにだけは、打たすなって言うた
 ろうが!」


の罵声が飛ぶことになります。

西村が投げて、西村が打って勝ったので
は面白くないんです。

やってられないんです。

だから西村君には自然ときつくなるんで
す(笑)

いくら彼がすごい選手だとは言っても、
彼一人ではゲームは出来ないし、まして
闘犬センターの他のメンバーが、常に
彼の引き立て役で終わることを好しと
思うわけがありませんよね。

みんな自分が一番になりたいって思って
いるやつらなのに。

そういう意味では私が一番西村君を、
認めていなかったんだと思います。

年末にも

「俺、西村嫌いやったもん。」

と言いました(笑)

彼の人間性も良く知っていますので、
彼個人が嫌いではありませんよ。

けど、彼の存在が嫌いだったんですね。
彼が入部してきたせいで私がピッチャー
をすることが出来なくなった。

それも入部当初は実力で負けたのでは
なくて、オーナーが

「西村で行け。」

と指示をするので、投げられないわけです
から、イライラしますよね。

本当はオーナーに当たればいいんですけど、
私も弱い人間です。

当たりやすい後輩の西村君に当たるように
なります(笑)

そうです、八つ当たりってやつですね。

すみませんでした、西村君。

ちょっと長くなりましたので、この続きは
明日にしたいと思います。