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この写真は春野運動公園の整備が
始まったころの写真です。

山を削って、グランドがあるだけの
こんな所が、今のように立派な施設
になるなんて、想像も出来ませんで
した。

さて、闘犬センターの25年の戦いを
振返っているメールマガジン

「ソフトボール日本一への道」

第17号昭和58年の前半を発行しました。

発行のお知らせだけだと、面白くない
ので、今回から最初のサンプル号から
少し抜粋してご紹介していこうと
思います。

では、サンプル号は次のような書き出し
で始まりました。

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■チーム誕生!?
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昭和52年高知市桂浜にある土産物店
「土佐闘犬センター」に高校生の
アルバイトがやってきました。

その高校生は当時高知県の男子ソフト
ボール部ではトップだった高知工業高校
の4番バッターでした。

それを聞いた土佐闘犬センターの社長は、
この高校生とその仲間と社員で地区の
ソフトボール大会に出て優勝してやろう
と思いました。

これだけのメンバーが集まれば地区で
優勝することなんか簡単なものと考えた
社長は、優勝旗を準備し、景品も提供して
大会に出場します。(当然すべて自分で
持ち帰るつもりでした。)

しかし、野球王国であった高知県では
地区の草ソフトボールとはいっても、
上手な人がごろごろいましたし毎週練習
してその大会に出場しているチームも多く、
中には県のソフトボール協会に登録して
活動しているチームも参加していたのです。

当然社長のもくろみは外れ、ぼこぼこに
やられ、優勝旗も景品も持って行かれま
した(笑)

もうおわかりになったと思いますが、
社長はソフトボールのことなど何も知らな
かったのです。

ましてソフトボールのチームを作ろうなど
とも思っていませんでした。
だた面白がって地区のソフトボール大会に
出ただけだったのですが、負けてしまいま
した。

そして笑われ、馬鹿にされたのです。

そこで負けず嫌いの社長は、地区で優勝
できるチームを作ろうとと考えます。

日本一になってやろうとかなど全く思って
もいません。

地区で一番になって自分を馬鹿にしたやつ
を見返したかっただけでした。

それも1回だけで良かったのです。

ここから本格的に選手集めが始まります。

厳密に言うとこの時点ではチームは誕生して
いません。

以上がサンプル号になります。

順次ご紹介していきますが、早く読みたい方は

「まぐまぐ」で検索して読んでみて下さい。

よろしくお願いします。

では、今日はここまでにしますね。