
小さな写真ですみません。
この写真は1月29日のブログ
監督(その21)でご紹介した、大阪球場
で行われた日本選手権の女子の決勝戦、
4時間1分という長~い戦を、待つのに
疲れた闘犬センターのメンバーが、外野
スタンドに行って暇つぶしをしている
ところです。
最初に行ったのが私、あとの二人は誰だ
ったか?はっきりとは覚えていないので
すが、平松さんと三代目監督の家竹君だ
ったような・・・
後に通天閣が写っているのを、30年以上
たって初めて気がつきました。
今はもうこの難波から通天閣は見えない
のではないかな?と思います。
さて、三代目家竹監督については、その
入部に至る経緯からご紹介しないといけ
ないと思います。
ご存知の方も多いとは思いますが、彼は
高知商業高校の硬式野球部で活躍してい
た選手で、2年生の時には甲子園で全国
制覇もしています。
その時のピッチャーは阪神でも活躍した
中西投手です。
順風満帆な野球人生を送っていた彼に、
大事件が起こります。
バイクの無免許運転で警察のお世話に
なってしまって、高知商業野球部は
高野連から大会への出場停止処分を
受けてしまいます。
これは大事件でしたので、報道でも大き
く取り上げられました。
このことを取材していたテレビを見てい
た時に、当時の高知商業の監督が、
「○○してやりたい!」
と発言したのです。
正直な気持ちだったと思います。
このテレビを桂浜の闘犬センターで、
社長と私がたまたま見ていました。
すると突然、社長が怒り始めたのです。
「あんな言い方はしたらいかんろう!」
「あの選手を助けちゃらなあいかん!」
突然のことで訳が分かりません。
この時闘犬センターのキャプテンをして
いたのが、松田さんでした。
松田さんは高知商業のサッカー部出身で
したが、野球が大好きで卒業後は何故か
野球部OBのように?、野球部OBより
も大きな顔で、野球部に出入りしておら
れました(笑)
そこで社長は早速松田さんに連絡を入れ、
家竹選手と連絡できるようにと指示を
します。
松田さんは自らのつてを使って家竹選手
のお母さんと連絡を取り、会う約束を
して、社長と二人で家竹選手の実家の
ある土佐清水市(高知市からは当時
4時間くらいかかったと思います。)
に行って、いきなり闘犬センターで
ソフトボールをするように勧誘しまし
た。
お母さんとしたら、この人がいったい
何者で、何をしに来たかも分からなない
まま、どんどん話しが進んで行って、
さぞかし困惑したんだろうなと、同情し
ます。
この社長、いつもこんな調子なんです。
本人はまだまだ野球がやりたかっただろ
し、この桂浜の闘犬センターの社長が
どんな人で、ソフトボールって何?って
思ってるうちに話が勝手に決まってしま
った感じだったんだろうと思います。
心が決まっていたかどうかは分かりませ
んが、家竹君は高校在学中に、闘犬セン
ターがこの年出場した、全日本クラブ
大会に同行していました。
ここで初めて高校生以外のソフトボール
を見たんじゃないでしょうか。
そんなことがあって、
家竹は闘犬でソフトをする
というレールが敷かれてしまいました
(笑)
すごいセンスの持ち主でしたので、
そのまま野球を続けていたら、違った
人生だったんだろうと思いますが、
彼はそのセンスであっという間に、
ソフトボールに順応して、日本一の
遊撃手、世界の首位打者と成長して
行きます。
彼の存在無くしては、闘犬センターの
輝かしい戦績はないと言っても過言では
ありません。
まあ、なかなかのやんちゃ坊主でした
けどね(笑)
今日はここまでにしたいと思います。
明日はまたこの続きです。