
この写真は杉本さんが、日本選手権の
日新製鋼戦でホームランを打った時の
ものです。
1985年(昭和60年)は特別な年になり
ました。
闘犬センターはクラブ、日本リーグ、
一般男子を制し、この日本選手権に
2年ぶり2回目の優勝をして、年間
全タイトル完全制覇を達成します。
杉本監督になってからは、初めての
日本選手権優勝となりましたが、
この大会の模様を伝えるソフトボール
マガジンに次のような記述があります。
「クラブ式ソフトの花が堂々と咲く」
「いかに少ない練習時間で試合に勝つ
か。闘犬センターのクラブ式ソフト
ボールの花がみごとに咲いたのであ
る。」
闘犬センターはこれでやっと
名実ともに日本一
になった年かもしれません。
それまでは、勝ってもまぐれ、やはり
実業団の方が上という認識が強かった
んだろうと思いますが、これ以降
闘犬センターと実業団との立場が入れ
変わったという感じでしょうか。
どのチームも「打倒闘犬センター」
の名のもとに、挑戦してくるという
感じになりました。
闘犬センターの戦い方のエピソードを
一つご紹介しましょう。
クラブチームの甘さなのでしょうか、
闘犬センターは相手によって手を抜くと
いうか、本気になれないゲームがありま
した。
日本リーグはリーグ戦ですので、負けて
も取り返しがきくということもあったん
ですが、比較的下位のチームに簡単に
負けるということが、シーズン初めに
よくありました。
この試合に負けたらダメとか、この
チーム叩いておかないと今後危ないとか
いう危機感のある試合では、ほとんど
負けたことがありません。
日本リーグに参加していたチームの
合言葉は、
「闘犬を本気にさせるな!」
「闘犬を怒らせたらいかん!」
だったみたいです(笑)
ずっと後になって西村監督になった頃に、
埼玉で日本リーグがあって、懇親会に
私が西村監督に代わって参加した時に、
ホンダの林選手が近づいてきて、
「山崎さん、どうして闘犬はホンダに
負けないんですか?」
「YKKや埼玉県庁には、簡単に負ける
じゃないですか。}
と聞いてきました。
「え、分かってないが?」
「ホンダ戦はいつも本気やきよ!」
ホンダには負けるな、これは全員の共通
意識でした。
これにはある理由がありました。
私たちがホンダというチームを初めて意識
したのは、ちょうど1985年(昭和60年)の
福島であった一般男子の大会でした。
私たちははるばる高知から、白ナンバーの
マイクロバスで10何時間もかけて、福島
まで行きました。
そこにシャンデリアギラギラの豪華なバス
で、乗り付けてきたのがホンダでした。
田舎者のひがみですよね(笑)
こいつらだけには絶対負けるなという、
闘志に火がつきました。
これ以外の理由はありません(笑)
この時に居なかった若い選手たちは、なぜ
これほどにホンダ戦になると、私たちが
いきり立つのか分かってなかったと思いま
す。
ですから、ホンダ相手の場合ヤジも非常に
きつかったと思います。
ホンダのみなさん、すみませんでした。
田舎者はエリートは嫌いなんです。
私たちの本気は、劣等感の裏返しだったの
かもしれませんね。
杉本さんは元々トヨタでしたので、こんな
風にには思っていなかったのかもしれませ
ん。
トヨタがホンダに負けるわけにはいけない
と思っていたかもしれませんけどね(笑)
最後に闘犬センターの勝負強さを示す記録
を一つご紹介して、今日のブログを締めた
いと思います。
闘犬センターは日本リーグを除いて、
トーナメントの戦いで決勝戦に進出した中
で、負けて準優勝になったものは、
クラブ大会で1回、一般男子で1回、国体で
1回の計3回しかありません。
それも1991年(平成3年)のクラブの決勝で
負けて以降、2001年(平成13年)の一般男子、
国体の準優勝まで、負けていません。
この2001年(平成13年)はチーム解散、存続
等でゴタゴタしていた年でもあり、やはり
どこか集中できない年だったですね。
今日は1985年に日本に
クラブ式ソフトボールの花が咲いたという
ことをお伝えしました(笑)
どんな可憐な花だったんでしょうね?
今日はここまでにしたいと思います。