監督(その20) | ソフトボールを愛する人にお届けするブログ

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この写真は、1987年(昭和62年)の
1月19日から2月11日まで、全日本
ナショナルメンバーが、ニュージーランド
に遠征した時のものです。

監督は当然杉本さんです

ナショナルメンバーとなってはいますが、
中心は闘犬センターで、残りはトヨタ自動
車の西村平さん、田中誠一さん、勝俣君、
山梨クラブの北投手、日本電装の西出君
という、偏った編成になっています(笑)

ほぼオール高知といった形の選出じゃない
かなと思えるほどで、トヨタ自動車の
西村さん、田中誠一さんは高知県出身、
高知以外は北君、勝俣君、西出君の3人
しかいません。

これも1985年12月に日本ソフトボール協会
会長に就任した、弘瀬 勝オーナーの力が
大きく影響していると思われます。

こうやって海外遠征をしたり、世界選手権
に行ったりして、レベルの高いソフトボー
るに触れることで、自分たちのソフトボー
ルのレベルも上がってくるんだなあと、
今さらながら思ってしまいます。

勝手に一人日本ソフトボール協会で偉く
なって、面倒臭いことも多かったですが、
闘犬センターに所属していることで、他の
選手よりいろいろな機会に恵まれたんだ
と、少しオーナーに感謝している自分が
いることに驚いています(笑)

杉本さんもこの遠征を振り返る手記の中で
ニュージーランドのナショナルチームとの
戦いから、日本の良さ、足りない物、
そして、海外の強いチームとの戦い方を
書かれています。

どうやっても太刀打ちできない体格差と、
パワーの差を、日本人のスピードや正確な
守備を生かして、世界の3強(アメリカ・
カナダ・ニュージーランド)に対抗する
方法を考える。

そしてそれを闘犬センターの戦い方に
取り入れて、日本国内では負けない
闘犬センターにされていきました。

そう考えると、闘犬センターのメンバーは
すごい能力の持ち主たちではなくて、
すごくなるために必要な環境の近くに居た
だけだったのかもしれませんね。

このニュージーランド遠征も、1984年の
世界選手権優勝のジャクソン投手とマーク
・ソレンソン選手を1986年のシーズン、
2週間闘犬センターに呼んでプレーさせた
縁から広がったものですし、1988年には
西村信紀投手がニュージーランドに
武者修行に行くことになって、その後
日本の大エースになっていく道を開きま
す。

今でこそ、日本リーグの男子にも女子にも
外国人選手が多く所属し、活躍されていま
すが、昔はそんなこと考えたのは、
闘犬センターのオーナーしか居なかったん
ですね。

それを考えると、あの人はすごい人だった
のかもしれません(笑)

現在愛媛ウエストがニュージーランド遠征
に行っているようですが、良い経験を
お土産に帰国することと思います。

このチームが強くなると、高知パシフィッ
クウェーブが国体予選で苦戦することにな
りますので、ほどほどにしておいて欲しい
なと、ちょっとだけ心の中で思っています
(笑)

杉本さんも手記の最後に、

「これからもアメリカやニュージーランド
 のチームと試合をやって慣れることが
 必要であると感じた。」

「最後にすばらしいこういうチャンスを
 与えてくれた、日本協会の弘瀬会長を
 はじめ、協会関係者に感謝いたします。」

と書かれています。

杉本さんは、30年近く前にこのことに気が
ついておられたということみたいです。

さすがです、お杉ちゃん!

今日はここまでにしますね。