
だんだん手持ちの写真も、
少なくなってきました(笑)
この写真は闘犬センターとして、
一番最初に県の春季大会で優勝
した時のものだと思います。
桂浜で観光業を行っていました
ので、記念写真を撮る人が会社
内に居ましたので、こんな記念
写真を撮るのは朝飯前でした。
闘犬センターは攻撃力を売りに
して、全国に進出していきまし
たが、裏を返せば投手力を含め
ての「守り」に不安を抱えた、
不安定なチームでした。
打ち出すと止まらない打線でし
たので、7連続安打みたいなのも
ありましたが、5点取られるのも
珍しくはありませんでした。
田中規夫さんはどちらかと言う
と、「選手の長所を伸ばす。」
ことの得意な監督でしたので、
少々のミスはそれが積極的な
ミスであれば、きつく責められる
ことはありませんでした。
以前ご紹介した最初の全国大会で
杉本さんと再会し、杉本さんは
その後高知に帰って、闘犬センター
に所属することになります。
その当時の印象を
「下手くそなチームやな!」
と思ったと後になって言われて
いました。
ですから、やはり結成当初は田舎の
クラブチームだったんですね。
実業団でプレーされていた杉本さん
の目には、「下手くそ」にしか見え
ない。
それは個々のプレーヤーとしてだけ
ではなくて、チームとしての戦い方
も含まれていると思います。
規夫さんが一生懸命作り上げてきた
「下手くそ」だけれど「破壊力」の
ある攻撃型のチームに、実業団の
緻密なエッセンスを持ち込み、
実業団には出来ない型破りなクラブ
ソフトボールを花咲かせたのは、
二代目監督の杉本さんになります。
そこに新たな選手の加入があったり、
若い選手の成長があったので、単純
に二人の監督を比べても意味はあり
ませんし、この二人が居なかったら、
闘犬センターの輝かしい成績は存在
しなかったことだけは、まぎれもない
事実でしょう。
そしてこの二人、今でもすっごく
仲良しです(笑)
田中監督の元に杉本選手を加えて、
闘犬センターの全国進出は進んで
行きます。
この時期にクラブの全国大会が始ま
ったというのが、偶然とはいえ
闘犬センターの強い味方になりました。
この大会がなければ、闘犬センターの
全国大会初優勝はもう少し後になった
はずですし、もしかするとずっと後の
ことになっていたかもしれません。
一つ優勝することで得られる自信って
大きなもので、それによって
「俺たちは強いんだ!」
っていう”勘違い”も起こります(笑)
「自信」と「過信」を持つことで、
勝って行っていたなあと、今振り返って
そう思います(笑)
次回は最初の「総合選手権」優勝から、
その年の終わりの監督交代までを、
ご紹介しようと思います。