
この写真の先頭は初代キャプテン
松田純夫さんです。
初代監督田中規夫さんと同い年で、
高知商業サッカー部出身ですが、
野球大好き、ソフトボール大好き、
仕事もお酒もバリバリの人でした。
規夫さんとは名コンビで、
闘犬センターのチーム作りに貢献
した人の一人です。
その後ろが田中規夫さん、
その後ろにちょこっと写っているのが、
1月3日の監督(その2)でご紹介した
規夫さんのお兄さんで、コーチをされ
ていた田中啓介さんです。
(すみません、(その2)が2つある
ことに今気がつきました。)
写真が不鮮明で分かりにくいですが、
30歳前後の精悍な顔つきですね(笑)
今は65歳を迎えて、なかなかのナイス
な年の取り方をしておられます。
たまにしかお目にかかりませんが、
昔話が多くなりましたので、みんな
しっかり年を取ったということで
しょうね。
田中規夫さんを中心として、この三人
がチーム作りをするという形で、
闘犬センターは挑戦を始めます。
当初オーナーは
「ワシはお金は出すが、口は出さん!」
と言っていて、チームの戦略等について
は、監督に一任していました。
当初はいわゆるソフトボールに関する
ことには口を出しませんでしたが、昨日
ご紹介した最初の全国大会に出場が決ま
って、準備が進んでいた時に事件は起こ
りました。
オーナーが
「全国大会に行くのに、ワシに挨拶が
ない!」
と怒っているというのです。
オーナーとしては、
「これはどうしましょう?」
「こんな感じでいきましょう。」
「初めての全国大会なんで、こうやろう。」
とか話したくてウズウズしていたんだと
思います。
いつ来るかいつ来るかと待っていても来ない
ので、怒ったんですね。
それを聞いた規夫さんと純夫さんは、こう
考えました。
「二人が責任を取って辞めよう!」
気持を固めた二人は、桂浜の闘犬センターに
オーナーを訪ねます。
異様な雰囲気を感じたオーナーは、会おうと
しません。
間に奥さんが入って、
「私が主人に話をするので、ちょっと待って
ください。」
これはオーナーの常とう手段です。
怒っておいて、誰かを間に立たせ、その人間
に解決方法をあらかじめ指示しておいて、
自分の思う方向で事をおさめさせる。
25年間で、何十回も見てきたやり方です。
まあ、ワンパターンなので、そのうち私たちは
収め方をすぐに予想できるようになりましたが、
面倒臭いことではありました(笑)
責任を取るというのが首脳陣の仕事でもあり
ますので、この3人も問題が起こって責任を取る
と言う形で、一人ずつ辞めていくことになります
が、
「この大会が終わったら辞める!」
って言葉を何回聞いたことやら(笑)
それを察したオーナーの機嫌取り、この二つの
駆け引きの中、闘犬センターの全国進出は進ん
で行きます。
今日はここまでにしますね。