オーナー弘瀬 勝氏(その3) | ソフトボールを愛する人にお届けするブログ

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この写真は1984年の世界選手権の

時の、歓迎セレモニー(?)の

写真です。

我々選手は突然、

「お前たち、その着物を持って
 そこに並べ!」

と言われて、立っているのが

上の写真です。

奥様同伴で来られていた世界協会の

役員の方は、奥様に選んでいただいて

肩にかける。

奥様の居ない役員は、選んだら

訳も分からず女物の着物を、

着ることになります(笑)

それが下の左の写真です。

右下は台湾協会のホーミンチャン会長

に、直接手渡しているところです。

日本の質屋で安く手に入れた着物を

持って行って、日本、さらには

弘瀬 勝を強く印象付けるなんて

ことは、今までの日本ソフトボール

協会の役員では、考えもしないこと

だったでしょうね。

これが商売人弘瀬 勝氏の真骨頂では

ないでしょうか。

世界の協会もいわゆる白人が

イニシアチィブを握っていました。

それを、アジア人や中南米、アフリカの

協会の役員たちは快く思っていません。

その反主流派の気持をつかんで、

このあと弘瀬 勝氏は世界の副会長に

なります。

この行動力は見習わなければいけないと

思いますが、弘瀬 勝氏も初めての

世界の舞台で、プレッシャーと緊張が

あったんでしょうね。

我々よりは後からアメリカに入った

弘瀬 勝氏はとっても機嫌が悪く、

当たりやすい自分のチームの選手に

なんやかんやと勝手な理由を作って、

怒ってきました。最大の被害者は

キャッチャーの大館さんでした。

集合に一番遅く来たのは違う人間

(すみません、私でした。また訳の
 分からないことを言っているのだ
 ろうと、こっちも頭にきていたの
 で、わざと遅く行ったのですが。)

だったのに、大館さんが怒られて

いました。

それで、選手が順番に当番をすること

になったので、一番気心が分かっている

杉本さんと私が最初に当番に付きました。

最初やったことは、釣具屋さんに行って

釣り道具を買ってきて、グランドの横を

流れている小川(用水路)で釣りをする

ことでした。

そんなところで、誰も釣りなんかして

いないんですね。

釣れるわけない!と思っていたら、

何と大きな鯉が釣れたんです。

これが間違い、これから毎日交代で

宿舎で釣りの準備をすることに

なりました。

最初に鯉が釣れたのもいけなかったので

すが、同行していた日体大の下奥先生

までが釣りを始めてしまい、

それも釣れたのが「スッポン」(笑)

これで弘瀬 勝氏の機嫌は急激に良く

なりました。

「ワシは鯉を釣ったのに、下奥はスッポン
 やった」(満面の笑顔でした。)

本当に子どもでしょ!

世界選手権にソフトボールをしに行った

のに、やれ着物を持てだの、釣りがしたい

だの、面倒臭くてたまりません。

いつまでも子どものような心を持っていた

オーナーでした(笑)

明日も、この子どものようなところを

ご紹介しようと思います。