
こんなものが残ってました。
弘瀬 勝氏の名刺です。
日本ソフトボール協会の
副会長、会長、世界の副会長と
どんどん偉くなって行ったのが
わかりますね。
そもそも日本協会の会長職は名誉職
みたいなもので、日本生命であったり、
日立工機であったり、政治家であったり
の偉い人がその職につくのが当たり前で、
高知の田舎の個人事業主がやるような
役職じゃないんです(笑)
まして、自分でチームを持っている
なんて、おかしなことです。
「ワシは日本一のチームを持っている
会長じゃ!」
これってすごいことですけど、
やはり少々問題はありますよね。
どうしても「闘犬センター」優位の
動きが出てきます。
この時代日本ソフトボール協会内で、
面と向かって「弘瀬 勝」に対して、
はっきりとものを言ったり、
反旗を翻す人はいませんでした。
と言うより、出来ませんでしたね。
面と向かって怒ったり、文句を言ったり、
皮肉を言っていたのは、唯一私だけだった
かもしれません。
闘犬センター25年間の中で、弘瀬 勝氏を
大きな声で怒った(あまりにもしつこ
かったので(笑))のは、私だけです。
一回だけですけどね。
私たちはそのおかげで、良かったことも
たくさんあったのも事実ですが、
結成当初からあまり結果については言わな
かったオーナが、会長になってから何か
プレッシャーでもあったのでしょう、
「うちのチームは日本一じゃないと
いかんがじゃ!」
と言うようになり、勝つことを義務付け
られるようになりました。
こうなってから、ソフトボールが楽しく
なくなり、勝っても嬉しくなくなって
いきました。
次回も引き続きオーナーのお話しです。