
これが、比較的結成当初の
オーナー弘瀬 勝氏です。
たぶん最初に総合選手権で優勝
した時の祝勝会の時の写真なので、
ビシッとスーツ着ていますが、
普段はこんな恰好はしていません。
夏になると何処に行くにも、
誰に会うにもランニングシャツ1枚
でした(笑)
重たいもの着ると肩がこるって、
言っていたような・・・(忘)
1月1日生まれのおめでたい人で、
私が出会った時は37、8歳の時でした。
その時はすでに桂浜で観光事業を
やっていましたが、当時あまり
評判の良い人ではなく、私もお誘い
を受けた時に問題になって、
私の知らないところで、職員会議が
開かれていたと後で聞きました。
ほとんどの先生がやるな!って言う中
たった一人、初代監督田中則夫氏と
会って話をした、私の信頼する先生が
「則夫が監督やったら大丈夫、やれ。」
「そのかわり、則夫が辞めるときは
お前も辞めろ!」
と言ってくれました。
この言葉が後の監督交代の時に、
ちょとした事件を起こすのですが、
それは別の機会にご紹介しますね。
はっきり言いますと、当時闘犬センター
を良く言う人はいなかったんですね。
それを世間知らずの田舎者の私は、
知らなかっただけなんです。
今同じ状況で、私の子供が誘われたと
したら、間違いなく断っています(笑)
恩師の「やれ!」って言葉だけを信じて、
ソフトボールをやろうとしただけなん
ですが、行ってみた闘犬センターは
見たこともないすごいところだったん
です(笑)
けど、そのおかげで私みたいな者でも
何回も日本一にしてもらいましたし、
海外にも行くことが出来ました。
人の人生、本当にどうなるのか
分かりません。