独断と偏見によるチューリップ(TULIP)の名曲ベスト15の紹介です。

順位は、おすすめ順ではなく、正確に曲の発表年時順にしました。今回は、敢えておすすめに順位はつけていません。ところが、不思議なことに、この順番で聴くと、素晴らしいアルバムになっているんですよね。

それぞれのグループのリーダーの年齢は、財津和夫さん(1948年生)の方が、天野滋さんより5歳上ですが、チューリップの全盛期は、N.S.Pの全盛期と、ほぼ重なります。

共に、最初にブレイクしたのが1973年(25歳)で、音楽性の頂点が1981年(33歳)頃。私の選曲も、この時期のものになります。

 

 

①心の旅

作詞作曲 財津和夫

◯シングル(1973年発表/3th/1位)

◯アルバム「TULIP BEST 心の旅(1973年発表/初のベスト)」初収録。

◯アルバム「チューリップ・ガーデン(1977年発表/2ndベスト)」収録。

◯アルバム「チューリップ・ランド(1982年発表/3rdベスト)」収録。

◯アルバム「We believe in Magic Vol.2(1997年発表/セルフカバー)リメイク版収録。

◯アルバム「request〜TULIP FAN SELECTION BEST(2007年発表)」収録。

チューリップ最大のヒット曲にして、初期の代表曲です。チューリップの人気を決定づけた名曲。リードボーカルは、姫野達也さん。

「いつも、いつの時でも、ぼくは忘れはしない、愛に終わりがあって、心の旅が始まる。だから今夜だけは君を抱いていたい。明日の今頃は、ぼくは汽車の中。」

 

②青春の影

作詞作曲 財津和夫

◯アルバム「TAKE OFF(離陸)(1974年発表/3rd/ー)」初収録。

◯シングル(1974年発表/6th/46位)アルバムからシングルカット。

◯アルバム「チューリップ・ガーデン(1977年発表/2ndベスト)」収録。

◯アルバム「チューリップ・ランド(1982年発表/3rdベスト)」収録。

◯アルバム「We believe in Magic Vol.2(1997年発表/セルフカバー)リメイク版収録。

◯アルバム「request〜TULIP FAN SELECTION BEST(2007年発表)」収録。

誠実で丁寧で美しい、財津和夫バラードの代表曲です。

「自分の大きな夢を追うことが、今までのぼくの仕事だったけど、君を幸せにする、それこそが、今日からのぼくの生きるしるし。」

 

③ぼくがつくった愛のうた〜いとしのEmily〜

作詞作曲 財津和夫

◯シングル(1974年/7th/30位)

◯アルバム「ぼくがつくった愛のうた(1974年発表/4th/ー)」初収録。

◯アルバム「チューリップ・ガーデン(1977年発表/2ndベスト)」収録。

◯アルバム「チューリップ・ランド(1982年発表/3rdベスト)」収録。

◯アルバム「We believe in Magic Vol.1(1997年発表/セルフカバー)リメイク版収録。

これも、姫野さんが、リードボーカルを務めた、チューリップ初期の代表曲。ロンドンのアビイ・ロード・スタジオでレコーディングされたものです。

「今まで君が愛してた小さな木彫りの人形も、幼い頃のおもちゃの箱に、そっとしまってしまいなさい。」

 

④サボテンの花

作詞作曲 財津和夫

◯シングル(1975年発表/8th/19位)

◯アルバム「無限軌道(1975年発表/5th/ー)」初収録。

◯アルバム「チューリップ・ガーデン(1977年発表/2ndベスト)」収録。

◯アルバム「チューリップ・ランド(1982年発表/3rdベスト)」収録。

◯アルバム「We believe in Magic Vol.1(1997年発表/セルフカバー)リメイク版収録。

◯アルバム「request〜TULIP FAN SELECTION BEST(2007年発表)」収録。

数あるチューリップのヒット曲の中でも、もっとも長く愛され続けている代表曲。

「この長い冬が終わる前に、何かをみつけて生きよう、何かを信じて生きていこう、この冬が終わるまで。」

 

⑤風のメロディー

作詞 財津和夫/作曲 財津和夫・姫野達也

◯シングル(1976年発表/11th/27位)

◯アルバム「チューリップ・ガーデン(1977年発表/2ndベスト)」初収録。

「虹とスニーカーの頃」と並ぶ、過ぎゆく青春の夏をテーマとしたチューリップ・ナンバーの佳曲。サウンドは、とてもビートルズっぽい。姫野さんがリードボーカルを務めた最後のシングル曲。

「燃え上がる太陽に戯れた君とぼく、濡れた髪かきあげて口づけた砂の上。消えた恋だけど、眩しすぎるほど、胸に焼きついた海辺の出来事。今はひとり街をさまよえば、夏の終わりを告ぐ風が吹くだけ。」

 

⑥ブルースカイ

作詞作曲 財津和夫

◯シングル(1977年発表/12th/25位)

◯アルバム「チューリップ・ガーデン(1977年発表/2ndベスト)」初収録。

歌の出出しにサビのメロディーを持ってくる、「心の旅」から「虹とスニーカーの頃」へと発展進化していく曲作りの、ちょうど中間点の試行が見られる曲。

これは、これで、歌として完成していて、ラジオのリクエストも多い。

「この空の明るさよ、なぜぼくのこの悲しみ、映してはくれない。」

 

⑦博多っ子純情

作詞 安部俊幸/作曲 姫野達也

◯アルバム「WELCOME TO MY HOUSE(1977年発表/8th/ー)」初収録。

◯アルバム「チューリップ・ランド(1982年発表/3rdベスト)」収録。

◯アルバム「We believe in Magic Vol.1(1997年発表/セルフカバー)リメイク版収録。

とてもセンチメンタルで、哀愁漂う、美しい曲。姫野さんがリードボーカル。

シングルにはなりませんでしたが、ファンの間では、無強い人気のある曲。

「男たちはみんな見栄っ張りで気が強い、海の風に吹かれるから。だけどみんなすぐにもらい泣きするよなヤツ、酒を飲んで肩をたたく。」

 

⑧夕陽を追いかけて

作詞作曲 財津和夫

◯シングル(1978年発表/14th/36位)

◯アルバム「チューリップ・ランド(1982年発表/3rdベスト)」初収録。

財津さんの詞とメロディが創り出す、雄大なイメージが印象的な名曲です。

「都会の星はとても遠いから、人はぼくを夢見るバカと言う。いつだって真剣にぼくは生きてきたはずだけど、でもいつも、そこには、孤独だけが残されていた。沈む夕陽は止められないけど、それでもぼくは追いかけていく。」

 

⑨虹とスニーカーの頃

作詞作曲 財津和夫

◯シングル(1979年発表/16th/6位)

◯アルバム「チューリップ・ランド(1982年発表/3rdベスト)」初収録。

◯アルバム「We believe in Magic Vol.1(1997年発表/セルフカバー)リメイク版収録。

◯アルバム「request〜TULIP FAN SELECTION BEST(2007年発表)」収録。

心の旅に次いで売れた、チューリップ後期の代表的なヒット曲です。一時期衰えていたチューリップ人気の復活を印象づけた有名な作品です。

「白いスニーカー汚さないように、裸足で雨の中、ぼくらは歩いた。びしょびしょ濡れのトレーナーが乾くまで抱き合った夏の昼下がり。わがままは男の罪、それを許さないのは女の罪、若かった何もかもが、あのスニーカーはもう捨てたかい。」

 

⑩Someday Somewhere

作詞作曲 財津和夫

◯アルバム「Someday Somewhere(1979年発表/10th/ー)」初収録。

◯アルバム「チューリップ・ランド(1982年発表/3rdベスト)」収録。

「虹とスニーカーの頃」発表から15日遅れでリリースされた、チューリップ初の2枚組アルバムなのに、「虹とスニーカーの頃」は収録されていない。そんなアルバムのタイトル曲にしてトリの曲。シンセサイザーを多用したアレンジが独特で、すでに後期の1980年代のチューリップ・サウンドっぽい。

「いつか、どこかに、きっと、誰かが君を待っている。今はただじっと窓を閉めて待つだけ、愛が君を連れて旅立つまで。」

 

⑪I am the Editor(この映画のラストシーンは、ぼくにはつくれない)

作詞作曲 財津和夫

◯シングル(1980年発表/17th/ー)

財津さんには珍しく、救いのない失恋の悲哀を歌った佳曲。イントロの長さが目立つ。

「行ってしまえよ、君なんて。最終電車はあと5分。白いTシャツに赤い口紅つけ直して、ぼくがもう一度、やりなおそうと言う前に。」

 

⑫さよなら道化者

作詞作曲 財津和夫

◯シングル(1981年発表/19th/ー)

◯アルバム「THE LOVE MAP SHOP(1981年発表/11th/ー)」初収録。

◯アルバム「チューリップ・ランド(1982年発表/3rdベスト)」収録。

財津バラードの後期の代表曲。

「雪を破った陽射しのように、暗いぼくを明るく照らした、道化者の君がいなくなって、ぼくの部屋はまた夜になった。」

 

⑬Shooting Star

作詞作曲 財津和夫

◯アルバム「THE LOVE MAP SHOP(1981年発表/11th/ー)」初収録。

◯アルバム「チューリップ・ランド(1982年発表/3rdベスト)」収録。

1980年代のチューリップを代表する名曲。シングルカットされていないのですが、ファンにとっては、とても思い入れのある一曲です。これも、非常に長いイントロが印象的です。

「宇宙を駆ける流れ星のように、心に翼つけて、今、旅立て。」

 

⑭ふたりがつくった風景

作詞作曲 財津和夫

◯シングル(1981年発表/20th/ー)

◯アルバム「チューリップ・ランド(1982年発表/3rdベスト)」初収録。

世間的には、チューリップの最後のヒット・シングル。「虹とスニーカーの頃」を、さらに磨き上げたような佳曲で、チューリップの音楽性の洗練の到達点を示す曲。これ以降、チューリップが、ラジオからよく流れて世間に馴染むようなヒット曲を、発表することはありませんでした。

「赤と緑の歯ブラシが、いつも仲よくコップの中、並んでいたね。雨風が強くて、傘の骨が折れたね、ずぶ濡れでも楽しかった、あの夜。」

 

⑮アルバトロス

作詞作曲 財津和夫

◯アルバム「2222年ピクニック(1982年発表/13th/ー)」初収録。

◯アルバム「request〜TULIP FAN SELECTION BEST(2007年発表)」収録。

発売に世間の注目が集まった、最後のチューリップのアルバムで、収録されているトリの曲。チューリップらしい、雄大で宇宙的なラブ・バラードです。このベスト15のトリを飾るにふさわしい隠れた名曲。

「風の中、君は踊った。動き優しいメヌエット、たった独りで。」

 

 

☆償いの日々

作詞作曲 松任谷由美

◯シングル(1987年発表/財津和夫with原みどり)

◯アルバム「City Suimmer(1987年発表/財津和夫ソロ)」初収録。

財津和夫さん、38歳の時の珠玉のバラード曲。この時、デュエットした相方の原みどりさんが、また、本当に歌が上手いんです。しかも、作詞作曲が、あの天才松任谷由実さんです。

素晴らしい名曲なのですが、長い間、なかなか手に入らない状態でした。2012年に、「City Suimmer」がリマスターされて再リリースされているので、現在は、直接、アルバムを購入して聴くことができます。

「誰でもひとつは持っている、心の片隅の部屋。自分でさえ開けられずに、鍵を探してさすらう。」

 

 

 

岩手県盛岡出身の天野滋(1953年生)、中村貴之、平賀和人で、1972年、高専在学中に結成された3人組フォーク・グループ、N.S.P(ニュー・サディスティック・ピンク)の独断と偏見によるベスト曲です。

本当に地味で目立たないグループで、同じ時期に、同じように〝叙情派フォーク〟と呼ばれた、北海道出身のフォークデュオ〝ふきのとう〟よりも、さらに地味だった気がします。

でも、〝ふきのとう〟と〝N.S.P〟のどちらを、今、聴きたいか、と訊かれたら、私は、断然、〝N.S.P〟が聴きたい、と答えるでしょう。

事実、ここに挙げた15曲は、今でも、よく聴く曲ばかりです。特に、ベスト5は、折に触れて頭の中で流れる脳内楽曲の中でも上位の曲目です。どれも、何度聴いても飽きないんですよね。

 

 

①チケット握り締めて

作詞作曲 天野滋

◯アルバム「The WIND'S SONG(1981年発表/12th/ー)」初収録。

◯アルバム「NSPベストセレクション 1973〜1986(2003年発表)」収録。

この作品は、歌詞、メロディー、アレンジ、すべてにおいて、天野さんの音楽の到達点・集大成と言うべき最高峰の名曲だと思います。でも、世間では、ほとんど知られていないのが、本当に残念です。

「そこは、誰も、僕を知らない、もちろん、君を知る人もいない、君を路上で抱きしめた時に、季節の中に溶け込むさ。」

 

②浮雲

作詞 天野滋/作曲 平賀和人

◯アルバム「彩雲(1980年発表/10th/9位)」初収録。

◯アルバム「NSPベストセレクション 1973〜1986(2003年発表)」収録。

◯アルバム「NSPプラチナムベストBesTouch(2015年発表)」収録。

二葉亭四迷の浮雲を連想させる後期の名曲で、1980年代のN.S.Pを代表する一曲です。平賀さんのメロディーと天野さんの詩が、うまくかみあった曲。

「優しさだとか、思いやりだとか、わかったつもりでも、些細な事で傷つけあい、あいつと別れたなんて、告げたならば、笑うだろうか、ウブだ、若かったと。自分自身もおかしくて、笑みを浮かべてしまう。」

 

③夕陽を浴びて

作詞作曲 天野滋

◯アルバム「天中平(1980年発表/11th/35位)」初収録。

◯アルバム「NSPプラチナムベストBesTouch(2015年発表)」収録。

この曲は、当時、私の就寝曲でした。この曲を聴きながら眠りにつくと、安心して熟睡できました。

「ギター弾いていると、君が半分暗くなる、夕陽を浴びて。」

 

ここまでが、私の不動のベスト3です。

3曲とも、N.S.Pが時代の波に取り残されつつあった1980年代初頭の曲ですが、完成度が非常に高く、音楽性という点では、頂点を極めていた時期ではないか、と思います。

 

④青い涙の味がする

作詞作曲 天野滋

◯シングル(1979年発表/16th/61位)

◯アルバム「NSPベストセレクション 1973〜1986(2003年発表)」収録。

70年代末の〝センチメンタル〟で〝ウブ〟な感性をストレートに素朴に表現した曲。シングル化されたこともあり、ベスト5の中では、世間の認知度は最も高い。N.S.Pの代表曲のひとつ。

「握手をしてもダメさ、頭を下げても無駄さ、心の距離を感じてしまう、青春なんて文字が、心の隅をつつく、傷口をまたつつく。」

 

⑤やさしい街

作詞作曲 中村貴之

◯アルバム「明日によせて(1977年発表/6th/10位)」初収録。

中村さんの代表曲。シングルにはなりませんでしたが、発表当時から話題曲で、よくファンのリクエストでラジオから流れていました。

「パチンコやって儲けて、あの角の茶店に入って、レコード聴いて、コーヒー啜るのが、あの頃のお決まりのコース。」

 

⑥見上げれば雲か

作詞作曲 天野滋

◯シングル(1980年発表/18th)

◯アルバム「天中平(1980年発表/11th/35位)」初収録。

◯アルバム「NSPプラチナムベストBesTouch(2015年発表)」収録。

これも、純文学的な青春のテーマを歌った天野さんらしい作品。一度聴くと、忘れられない曲。N.S.Pとして珍しく、訴えかける迫力(インパクト)のある曲。

「それぞれ人は、その足元に、自分の影を引きずり続け、立ち止まる時、思い出すのは、愛しい人の笑顔じゃないか。」

 

⑦17歳の詩

作詞 矢吹夕子/作曲 天野滋

◯アルバム「2年目の扉(1975年発表/4th/14位)」初収録。

◯アルバム「青春のかけら達(1978年発表/初のベスト/19位)」収録。

◯アルバム「NSPベストセレクション2 1973〜1986(2005年発表)」収録。

哀愁(ペーソス)に満ちた青春の名曲。発表当時、ファンレターの詩に曲をつけたと天野さんは言っていましたが、実は、奥様の詩だそうです。学校の国語の先生が、授業でこの詩を紹介して「本当に気持ちよかったんですかね」と仰っていましたが、堅物というか生真面目な先生でしたね。

「嘘をついて、悪口言って、嫌われてしまえば、こんな気楽になるなんて知らなかった。」

 

⑧あの夜と同じように

作詞作曲 天野滋

◯アルバム「黄昏に背を向けて(1977年発表/7th/15位)」初収録。

◯アルバム「青春のかけら達(1978年発表/初のベスト/19位)」収録。

◯アルバム「NSPベストセレクション 1973〜1986(2003年発表)」収録。

ミディアム・テンポでリズムの心地よい、N.S.Pとしては〝疾走感〟があると言ってもよい名曲。

「今年最初の雪が降る、お茶をふうふう飲みましょう、あの夜と同じように。」

 

⑨漁り火

作詞作曲 天野滋

◯アルバム「青春のかけら達(1978年発表/初のベスト/19位)」初収録。

◯アルバム「NSPベストセレクション2 1973〜1986(2005年発表)」収録。

オリジナル・アルバムには入っていない、幻の名曲。とても雰囲気のある曲です。

「ひとりじゃつらすぎるし、2人じゃダメになる。漁り火、海鳴り、二人の愛、いえいえ、みんな、まぼろし。」

 

⑩愛のナイフ

作詞 天野滋/作曲 細坪基佳

◯シングル(1979年発表/17th/94位)

◯アルバム「彩雲(1980年発表/10th/9位)」初収録。

◯アルバム「NSPベストセレクション 1973〜1986(2003年発表)」収録。

◯アルバム「NSPプラチナムベストBesTouch(2015年発表)」収録。

〝ふきのとう〟の細坪さんとの共作です。この曲が発表された1979年は、〝ふきのとう〟が、その音楽性の頂点を極めた傑作アルバム「人生・春・横断」がリリースされた絶頂期でもあります。

そういうわけで、この曲は、また違った魅力のある〝ふきのとう〟版もあるのですが、私としては、N.S.P的なアレンジのセンスが好きなのです。この曲には、より合っていたんじゃないかな。

「何が悲しいの? 何が寂しいの? 心、心、心を開く、愛のナイフが欲しい。」

 

⑪夕暮れ時はさびしそう

作詞作曲 天野滋

◯シングル(1974年発表/4th/11位)

◯アルバム「N.S.P.Ⅲ ひとやすみ(1974年発表/2nd/4位)」初収録。

◯アルバム「青春のかけら達(1978年発表/初のベスト/19位)」収録。

◯アルバム「NSPベストセレクション 1973〜1986(2003年発表)」収録。

◯アルバム「NSPプラチナムベストBesTouch(2015年発表)」収録。

言わずと知れたN.S.P最大のヒット曲。叙情派フォークという形容・表現(フレーズ)は、この曲によって生まれたのではないかと思います。

「こんな河原の夕暮れ時に、呼び出したりして、ごめんごめん、笑っておくれ、うふふとね、そんなにふくれちゃ嫌だよ、夕暮れ時はさびしそう、とてもひとりじゃいられない。」

 

⑫さようなら

作詞作曲 天野滋

◯シングル(1973年発表/1st/デモテープ版/46位)

◯Liveアルバム「N.S.P FIRST(1973年発表)」ライブ版収録。

◯アルバム「青春のかけら達(1978年発表/初のベスト/19位)」新規スタジオ録音(リメイク)版収録。

◯アルバム「NSPベストセレクション 1973〜1986(2003年発表)」収録。

◯アルバム「NSPプラチナムベストBesTouch(2015年発表)」収録。

デビュー曲にして、N.S.Pの代表曲。1970年代の和製フォークを代表する一曲でもあります。

「やけに真っ白な雪がふわふわ、真っ裸の木を凍えさせ、蝉の子供は土の下、あったかいんだね、ゆっくり眠る。」

歌詞がとても印象的で、初めて聴いた時は衝撃的でした。

1973年のデビュー時の音源は、ライブ録音に近いデモテープ状態でスタジオ録音された荒削りなもの。デビュー・アルバムでは、これも荒削りなライブ音源。キチンと編曲され丁寧に編集されたスタジオ録音版(リメイク1)は、1978年に初めてつくられました。

 

⑬八月の空へ翔べ

作詞 天野滋/作曲 平賀和人

◯アルバム「八月の空へ翔べ(1978年発表/8th/10位)」初収録。

◯アルバム「青春のかけら達(1978年発表/初のベスト/19位)」収録。

◯アルバム「NSPベストセレクション 1973〜1986(2003年発表)」収録。

◯アルバム「NSPプラチナムベストBesTouch(2015年発表)」収録。

N.S.Pにしては珍しい、軽快なテンポの明るい朗らかな曲です。これも平賀メロディーの佳曲。

「八月の空はどこまでも続いた青い空、自然を愛する気持ちさえ、忘れていたようだ。僕は今、あの時の君に口づけた一人の少年。」

 

⑭You Love Me

作詞作曲 天野滋

◯アルバム「天中平(1980年発表/11th/35位)」初収録。

天野さんがラジオに出演して「天中平」の宣伝をしていた時、この曲の解説で、「I Love Youじゃないのがイイんだ!」と力説していました。当時、「天中平」と同じ発売日(80年11月21日)に、オフコースのアルバム「We are」がリリースされて大ヒットし、少し遅れてシングル「I Love You」も大ヒットしたりしていたので、天野さんなりの〝負け惜しみ〟〝対抗意識〟だったような気もします。

 

⑮北斗

作詞作曲 天野滋

◯アルバム「天中平(1980年発表/11th/35位)」初収録。

暗く、重苦しいけれど、壮大な美しい曲。N.S.Pではお馴染みの夜空の星をテーマにした歌です。

ちょうど谷村新司さんの〝昴〟がリリース(1980年4月1日)された直後で、天野さんも刺激を受けたのかな。財津和夫さん(チューリップ)の「アルバトロス(1982)」とかも、〝昴〟の影響を感じるし。

 

 

アルバム「天中平」から、4曲も選んでしまいましたが、そう言えば、このアルバム名について、天野さんは、占いの「天中殺」からひねってつけたと、ラジオで言っていましたね。

N.S.Pが、まだ、それなりに人気を保っていた時期の最後のアルバムでした。

 

15曲をまとめて聴きたい場合、曲順としては⑮⑩⑤⑭⑨④⑬⑧③⑫⑦②⑪⑥①の順に聴くのがおすすめです。

 

人類の歴史において、ある局面を打開し、歴史を切り拓いてきたのは、その局面の持つ歴史的意味を知り、その分岐点の微細な空気の変化を肌で感じ取って、自ら決断を下し、果敢に行動した一人の人物であり、物事が動いたのは、そのたった一人の行動に、大衆が従った結果に過ぎない。

いつの世も、集団指導体制や、合議制が、歴史を動かしたためしはないのだ。

それからな。

怠惰で無能で無策極まる愚か者たちこそ、好んで核兵器を持ちたがるんだ。

本当に優れた者には、実は核など必要ない。

所詮、アメリカ人もイギリス人もフランス人もロシア人も中国人も、怠惰なバカものどもの集まりに過ぎん。

その点、優秀な日本人は、核を持っていないだろう?

 

1991年、湾岸戦争勃発時に、テロとデモで騒然となっていたパリの街のカフェで、ユダヤ人のおばさんがそう言った。

 

 

アメリカのどこに自由がある?

自由なんて、ごく一部の裕福で恵まれた運のいい連中の持つ特権に過ぎない。

アメリカの富の35%は上位1%の所有に帰するものであり、下位50%の人々は国全体の資産の4%しか持たない。

結局、アメリカでは、最低限度の生きる権利すら、国家は保障しないのだ。

生きる権利すらないのに、何が自由だ?

昔、ソ連には、どんな貧者でも、最低限、病院に行く権利ぐらいはあった。

 

旧ソ連時代を懐かしむロシア人がそう言った。

バイデンもゼレンスキーも、本当の貧乏を知らない。

プーチンは知っているんだ。

その違いは大きい、と。

 

 

 

2021年1月に「『ミンスク合意』を破棄する」と宣言した時、あるいは3月に「クリミアの奪還を目指す」と宣言した時に、既にゼレンスキーは「対露開戦も辞さない」と覚悟を決めていたのかもしれない。その背後には、戦争をしてでもロシアからの離反と自立を実現したいウクライナ西部の民族主義愛国者(反露派)たちの後押しがあったに違いない。彼らの戦略の〝かなめ〟は、この戦争にアメリカを巻き込むことであったはずだ。

また、このゼレンスキーの決断には、2021年1月、プーチンと個人的にうまがあった共和党のトランプ大統領が権力から転落し、以前からロシアを敵視し、ウクライナに肩入れが激しく、次男のウクライナ・スキャンダルをうやむやにしたい民主党のバイデンの政権が誕生したことが、密接に関係していただろう。

ゼレンスキーが『クリミア奪還』を宣言した直後、同年3月から、プーチンは国境に軍を増派して、ウクライナに圧力をかけたが、この時点で、ゼレンスキーは、対露開戦に向けて、アメリカに軍事支援を強く求めただろうし、アメリカとしても協力するにやぶさかでなかったはずだ。事実、アメリカ軍のウクライナ支援は、バイデン政権になって格段に手厚くなった。

バイデンからすると、「ウクライナには、是非とも対露戦を頑張って欲しい。しかし、大切なことは、アメリカが戦争に巻き込まれないことだ。何もプーチンのご機嫌をとって、戦争自体を止めようとする必要はない」というわけだ。

 

この「戦争が起きてもいいのでは?」というアメリカの傾向は、同年8月31日に、ベトナム戦争からの撤退並みのカオスを生じてバイデンからが赤っ恥をかいた、お粗末すぎる米軍のアフガン撤退騒動の外交的失策によって、ますます強まったろう。

タリバン政権が、米軍撤退とほぼ同時に首都を制圧した衝撃的ニュースは全世界を駆け巡り、アメリカの軍事力と外交的指導力への信頼は地に落ちた。この汚名を挽回し、同盟諸国の結束を図るためには、ロシアか中国が、近隣国に対して侵略戦争を始めてくれるのが、一番都合が良い。

同年12月8日、ミンスク合意を主導し、プーチンと個人的にも親しかったドイツのメルケルが首相を退任した。もはや、西側に、プーチンに影響を与え、侵攻を思い止まらせることのできる指導者はいなかった。

翌2022年2月、フランスとドイツは、ようやくことの重大さに気づき、ロシアとの交渉を始めたが、時既に遅しであった。

しかも、この時期にアメリカのバイデンは、ウクライナ軍の更なる増強に余念がなかった。当然、東部2州での紛争は激化した。そして、バイデン大統領とブリンケン国務長官は、繰り返し「ウクライナのNATO加盟はありうる」「今後、ウクライナで何が起こっても、米軍の派兵はない」と言い続けた。

これがプーチンへのゴーサインになった。

 

もちろん、これはプーチンの判断ミスであり、プーチンはアメリカの罠にハマったと言える。

バイデンとゼレンスキーは、入念に準備を整えて、プーチンの侵攻を待ち受けていたのだ。

戦争が始まってからも、アメリカとウクライナの連携は鮮やかだった。首都キーウに留まり、巧みに国民と世界を戦争に巻き込んでいくゼレンスキーの弁舌・手腕も見事だった。

「3日で首都キエフを陥し、2週間で戦争を終わらせ、ゼレンスキーに代わる親露政権を樹立する」というロシアの電撃作戦は水疱に帰した。

ゼレンスキーとアメリカの当初の目論見の通り、戦争は泥沼の長期戦になりつつある。戦争が長引けば長引くほど、ロシアの蛮行を世界に宣伝する機会は増える。ゼレンスキーとアメリカは、国際世論を味方に付け、長期戦を有利に展開することができる。そうすれば、徐々にロシアを追い詰めることができるだろう。

この長期戦計画は、これまでのところ、見事なまでに成功している。後は、経済的にも外交的にも、ロシアをじっくりと追い詰めていけばよい。

昔から言えることだが、戦争は勝者が総取りする容赦のないゲームである。したがって、勝てる戦争は、何としても勝たなければならない。決定的な勝利に至るまで、弱腰な譲歩や講和などもってのほかである。

急ぐ必要はない。時間は、ゼレンスキーとバイデンの味方だからだ。

 

ゼレンスキーとバイデンのタッグは、とても良いコンビだ。

ゼレンスキーは、アメリカの代理戦争を遂行することを引き受け、その一方で、ウクライナ民族派の野望・悲願であるウクライナのロシアからの離反と自立を成し遂げるつもりだ。ロシアの支配から脱する、ということだ。同時に、クリミア紛争でやられっぱなしだったロシアに一矢報いたいという思いもあったろう。

バイデンは、ゼレンスキーを全面的に支援し、ロシアに対して世界規模の経済制裁を続けることで、自らの手を血で汚すことなく、宿敵ロシアを徹底的に叩くことができる。同時に、このロシア叩きは、最大の敵である中国への牽制と警告にもなる。

そして、戦争が続けば続くほど、ロシアへの非難材料は増え続け、バイデン(とリベラル)の大好きな〝人道的な罪〟で、独裁者プーチンを追い詰めることができる。

アメリカでも、イラク戦争で、捕虜の虐待が常態化し、少なくとも八万人の民間人が、誤射・誤爆(?)で殺された。ロシア軍が、そのアメリカと同程度の民間人虐殺を行うことは、十分に期待できる。それを、今回は、大々的に報道し、ロシア非難の国際的な大合唱を作り出すのだ。

戦争が長引くほど、ロシアは孤立無援となり、ウクライナに支援は集まるはずだ。

まさに、理想的な状況である。

 

ただ、些細なことかもしれないが、バイデンとゼレンスキーの計画には、いくつかの問題点があるように思える。

その一つは、彼らの狙いである長期戦の実現によって、もっとも苦しむのはウクライナの国民である、ということだ。

もっとも、その責任は、すべてプーチンとロシアに押し付けることが可能であり、バイデンとゼレンスキー本人には実害(政治的な痛手)がない。

ゼレンスキーにとっては、ロシアの非道を宣伝し続けることで、国内の民族派の愛国心を鼓舞し、ロシアへの憎しみを燃え上がらせ、さらなる国際支援を得て、戦争継続への求心力を保つことができる。軍事力で正面からロシアを破ることさえ、夢ではない。

だが、依然として、ウクライナの民間人の生活と人生が破壊されていくという現実には変わりがないのだ。戦争が長引くほど、ウクライナの市民の苦しみは、耐え難いものになっていく。そして、この戦争が、早期に決着する見込みはまったくない。そもそも、バイデンも、ゼレンスキーも、初めから長期戦の泥沼化を狙っていたのだから、これで目論み通りなのである。

ある意味、「ウクライナの市民の命と人生と生活が、バイデンとゼレンスキーとウクライナ国内民族派の野望・願望を実現するための道具(犠牲)にされている」ようなかたちだ。

 

もう一つの問題は、我々にも関係がある。

追い詰められたプーチンが何をするか、という問題だ。

シカゴ大学の国際政治学者ジョン・ミアシャイマーは「悪いのはロシアを追い詰めた西側だ」「ウクライナ戦争の責任はロシアではなくアメリカにある」「これ以上、ロシアを追い詰めてはならない」と主張する。

また、現代言語学の第一人者で「知の巨人」と呼ばれ、今回のウクライナ侵攻を予測していたノーム・チョムスキーは、「ロシアの侵攻は重大な戦争犯罪であり、いかなる言い訳も通用しないが、先に裏切ったのはロシアではなくアメリカだったことは事実だ」「プーチンに逃げ道を用意しなければ、世界は想像を絶する悲劇を迎えることになる」「米露の対立が激化すれば、それは人類への死刑宣告になる」と主張する。

両者の主張を一言で言えば「ロシアをとことん追い詰めるのは危険だ!」という警告である。

それに対して、一般人の多くが考える典型的な意見は「侵攻したロシアに責任を取らせるべきだ」「侵略者プーチンに容赦する必要はない」「危険な独裁国家ロシアを徹底的に叩くべし!」というものだ。

 

確かに侵攻したロシアの罪は明らかで、誰にでもわかる明明白白のものだ。

その一方で、ゼレンスキーとウクライナは、侵攻された側であり、被害者である。

さらにバイデンは、派兵による戦闘行為を拒絶したという点で、戦争を拒絶している。自分(アメリカ)が、殺し合うことはしないと宣言したわけだ。

また、ウクライナは、自衛権を行使しているだけであるから、正義の側であり、そのウクライナに対して、アメリカが力の限り可能な支援を行うのは当然である。

このように大義名分が整っているゼレンスキーとバイデンの責任に言及し、表立って公然と非難するのは難しい。

その意味では、ゼレンスキーとバイデンの悪意は、巧妙に隠されている。おそらく、彼らは、自分自身に対してさえも、自らの〝悪意〟の存在を認めないだろう。

しかし、その隠された悪意が、人類に大いなる悲劇をもたらすかもしれないとすれば、やはり、我々は見過ごすことなく考えなければならないだろう。

そこに、ミアシャイマーとチョムスキーの言説の動機と使命感があるのだと思う。

はっきり見えているプーチンの大罪と、見えないバイデンとゼレンスキーの悪意が、世界を破滅に導くかもしれないのだ。

 

特に、日本の場合、ロシアと敵対するということは、NATO諸国と異なり、アメリカの存在感が低下した将来、東アジアで孤立し、中露ユーラシア連合と単独で向き合わなければならなくなる可能性が強まることを意味する。

その意味で、アジアで唯一、NATO諸国と足並みを揃えて、積極的にロシアに敵対的な態度をとる岸田政権の外交姿勢は、日本の生存戦略として、長い目で見ると、間違っていると言わざるを得ない。実に賢くない拙いやり方だ。

もともとロシア人は、ソ連時代から国民的に親日である。「日本は、かつてアメリカと真正面から戦った国だ」という親近感があるのかもしれない。

ロシア人は、たとえ反プーチンの人であっても、若者を除けば、プーチンよりアメリカの方が嫌いなのだ。

そして、ロシア人は、正邪を超えて、身内や味方には、非常に甘い。正義であるかどうか、などは関係ない。身内・味方は絶対的に保護し続けるし、最後まで決して見捨てない。

その反面、裏切り者は絶対に許さない。地の果てまで追いかけてでも、必ず、その報いを与える。敵に対しては、冷酷で残虐である。

プーチンにとって、ゼレンスキーが、スラブの〝裏切り者〟であるのと同様に、今、日本(岸田政権)もまた、〝裏切り者〟と見えているかもしれない。

 

我々人類は、自分自身の生存の問題として、この戦争を何とか早期の休戦・和睦に導かなければならない。

ロシアは絶対悪ではないし、西側は絶対善ではないのだ。戦争勃発の責任も、一方的に100%ロシアだけに帰されるべきものではない。バイデンにもゼレンスキーにも、開戦に至った責任はあるはずだ。

日本国民は、ロシアに対する過度な懲罰意識を持つべきではないし、西側の正義を盲信して「ロシアに対する一切の譲歩や妥協は許されない」と考えるのは誤りだ。

もっと言えば、ロシア側が「地上戦で決定的な勝利を掴むまで、停戦交渉が合意に向かって本格化する余地はない」と考えるのは誤りであるのと同様に、ウクライナやアメリカや西側諸国が「プーチン政権が弱体化して向こうから譲歩してくるまで、停戦交渉で、こちらが大きく譲歩する必要はまったくない」と考えるのも誤りなのだ。

ロシアにとって、選択肢が狭まることが、より過激な手段に打って出るきっかけとなるかもしれず、そして、その結果は誰にも予測できないからだ。

この先に、想像を絶する悲劇が待ち受けているとしたら?

戦場の、それを取り巻く世界の、人々の心の中に生じる報復意識や懲罰意識を、理性のタガから解き放ち、世界を憎悪で彩るのは、あまりにも危険な火遊びだ。

人類は、何度、同じ間違いを犯せば、学ぶのだろうか?

 

 

 

 

 

これまで、7つの記事で、ウクライナ戦争について論じてきた。

2022年2月24日に始まった戦争は、ほぼひと月(30日)が経過した。

この間、この戦争は何なのか、さまざまな観点から論じてきた。

この辺で、その内容を概観しておきたい。

 

今回の戦争、ロシアは、英米に嵌められた面がある。

ロシアのウクライナ侵攻は、ロシアにとっても最悪の手段だった。

だが、プーチンは、そのような悪手を打たざるを得ない立場に、うまく追い込まれたと言えるかもしれない。

結局、ウクライナのNATOへの接近が、プーチンを強く動かしたのだ。

 

バイデンのウクライナへの肩入れのきっかけは、ウクライナのロシアからの離反を促すためという戦略もあったろうが、それ以上に、身内の不祥事を闇に葬るためではないかという見方がある。

次男ハンター氏の疑惑の調査を行わない見返りに、バイデンはウクライナへの援助を強めたのでは、という疑惑があるのだ。

そのため、ゼレンスキーは、アメリカの後ろ盾を頼んで、不用意にロシアに強気に出てしまった面があるのではないかとも言われている。

 

要するに、ゼレンスキーは、アメリカを利用し、アメリカに利用されている、ということだ。
バイデンの目的は、ロシアにウクライナを侵攻させて、次男への疑惑を有耶無耶にしてしまうこと。そして、これを機会に、ロシアを叩き潰すことだ。
そのために、バイデンは、ウクライナの市民を犠牲にしている。

残念ながら、ゼレンスキーは、その流れに乗ってしまっている。

 

バイデンは言った。

「私が、経済制裁で戦争を止められるなどといつ言った。戦争は経済制裁では終わらない。大切なことは、ロシアに痛みを与え続けることだ。」

バイデンには、戦争を終わらせる気はない。

ただ、息子のスキャンダルを潰し、ロシアを痛めつけたいだけなのだ。

そうした目論見を、正義の名の下に、覆い隠してしまえるなら、これほど喜ばしいことはない。

良心の呵責も、一切感じずに済ますことができる。

大変好都合ではある。

だが、このようなことが平気でできる、バイデンこそが、サイコパスではないか。

ウクライナでは、国外脱出を図った男性たちが、次々と拘束されている。
国家によるナショナリズムの押し付けで、沈黙を強いられる人々が大勢いる。

ウクライナ人は勇敢だ。

今は「戦いたい」男たちが過半数かもしれない。

ゼレンスキーの支持率も、41%から91%に急上昇した。

けれども、みんながみんな、戦いたいわけではない。

勇敢な戦う愛国者たちの裏側で、「逃げたい」「戦いたくない」という市民の本音が抑圧されている。

 

 

 

ロシアとウクライナの関係は、とても深い。

プーチンは、大ロシア主義を唱え、同じ大ロシアの一部である兄弟民族ウクライナ人を、ロシアの内へ取り戻そうと、この戦争を始めた。

このプーチンの考えは、現実とずれていたため、電撃戦は失敗に終わった。

ウクライナ人の多くは、大ロシアの一部であるより、あくまでもウクライナ人でありたいと考えている。

プーチンは、そのウクライナ人の愛国心の強さを見誤っていたようだ。

 

とは言え、プーチンは、ウクライナ人を無理やり支配したいわけでも、虐殺したいわけでもないだろう。

プーチンの敵は、ウクライナではない。

プーチンの敵は、アメリカであり、アメリカの手先となっている(ようにプーチンに見えている)ゼレンスキーだ。

ウクライナの荒廃は、プーチンの望むものではない。

 

ウクライナには、ロシアを領域外へ押し戻す力はない。

ロシアにも、ウクライナ全土を制圧する力はない。

だから、戦争は終わらない。

ロシアもウクライナも、戦争の長期化を望んではいないのだが。

ロシアは当然〝悪〟だが、ロシアを〝絶対悪〟とする強力なプロパガンダを行ない、ウクライナを代理戦争で使い潰してもかまわない、というのがアメリカの戦略。

西側の「自由と民主主義」のリーダーは、自らの信ずる正義に反する国家を叩き潰すためには手段を選ばないようだ。

バイデンは、戦争が長期化しても、痛くも痒くもない。
アメリカは資源大国だし、ユーラシアから遠く離れている。
対日戦(太平洋戦争)の時と同じで、どれだけ犠牲が出ても、最後までロシアを叩き潰す戦略だ。

バイデンは言った。「プーチンは権力の座にとどまれない。」

つまりは、それまで、戦争を続けるということだ。

 

このバイデンの戦略には、「どのくらいの期間で?」という見積もりが、まったくない。

ロシアを叩くのには、どれだけ時間をかけても構わないと考えているようなのだ。

なぜなら、「時間をかければ、かけるほど、アメリカは有利になる」と考えているからだ。

「戦争の激化でウクライナの民間人がどれだけ死んでも、その分、ロシアへの非難材料が増えるだけで、アメリカに損はない」というわけだ。

 

バイデンは、人の命をも、また、そろばん勘定している。

ゼレンスキーは、支援の見返りに、バイデンに、自国民の命を切り売りしている。

そのウクライナ人の命が、ロシア非難の材料になり、バイデンは経済制裁を続けられる。

しかし、プーチンにとっては、何の成果もなしに、ここで引くことは、自らの進退に関わり、破滅につながる。だから、簡単に、兵は引けない。

クリミア領有の承認、ドンバス地方の独立、ウクライナの中立化は、プーチンの望む最低ラインだろう。

 

一般にロシア人は、反プーチンの人であっても、若い人を除けば、アメリカの方が嫌いだ。

ロシア人は、戦争を始めたプーチンよりも、ロシアを叩くバイデンを憎む。

「鬼畜米英」ということだ。

ウクライナ侵攻を非難する西側の経済制裁が始まった後も、プーチンの支持率は、独立系メディアの調査でも、83%にまで上昇し続けている。

マクドナルド、スターバックス、アップル、ユニクロが営業停止しても、ロシア国民は、プーチンを支持し続ける。

プーチンと共に、ソ連崩壊後の90年代の混乱と衰亡からの復興の20年を歩んできた人々のプーチンへの信頼は厚い。

そして、戦争は続く。

 

 

 

アメリカ政府は、ロシア兵の死者とウクライナ民間人の死者の人数は、詳しく発表を続けている。しかし、ウクライナ軍兵士の死者数については、一切、発表していない。しかも、西側メディアも、ウクライナ軍の犠牲者については、一切報道しない。

もし、ウクライナ軍の犠牲者数が、ロシア軍の犠牲者数を上回っていたら、厭戦気分が広まり、ウクライナ側からロシアとの和睦へ向かう圧力が強まるかもしれない。

 

日本メディアのインタビューを受けたキエフの二人連れのウクライナ人女性の一人は言った。

「私たちの間でも意見は分かれているの。私は、プーチンを少しは信じてもいいと思っている。結局、まだ、実際に亡くなった人は少ないし。でも、この人は、信じないと言うの。」

確かに、今のところ、ロシア軍の侵攻で殺害されたウクライナの民間人の数は、イラク戦争でアメリカ軍の誤射・誤爆によって、同じ1ヶ月間に殺害されたイラク民間人の数より少ない。

 

プーチンもゼレンスキーも、「裏切り者は許さない!」と言う。「この戦争は、何としてもやめるべきだ」と主張すると、どちらの側でも裏切り者になってしまう。

どこの国でもナショナリズムに火がつくと、その火消しは難しい。だから、戦争の当事者でない者たちが、他国のナショナリズムをいたずらに煽ってはならない。

メディアもまた、安易に一方の側に肩入れしすぎてはならない。プロパガンダの片棒を担ぐなど、あり得ない。


多くの日本人が、アメリカの正義への違和感を感じないのは、日本が、アメリカに、とことん依存しているからだ。

頭の中身というか、取り入れるべき情報も、モノの見方も、思考法までも、アメリカに依存している。

だから、日本のメディアも、CNNの日本支局に成り下がる。

独自の視点を持ち得ない。

 

プーチンは言った。

「日本では、原爆によって、アメリカに、罪のない一般市民が無差別虐殺されたことが、教科書に載っていない。」

正確には、そうではない。

教科書に載ってはいるが、大部分の日本人の心情としては、なぜか、落としたアメリカより、落とされた日本の方が悪いことになっている、のが現状だ。

プーチンが言いたいことは、日本はアメリカに、徹底的に調教・洗脳されているということだ。

それは、間違いではない。

 

史上最悪の無差別爆撃で首都を焼け野原にされ、一夜にして10万人の民間人を、焼夷弾で焼き殺された。

史上最悪の無差別艦砲射撃と火炎放射器で、3ヶ月の地上戦が繰り広げられ、9万人の民間人を虐殺された。

唯一の被爆国となり、二つの都市を、一瞬にして、壊滅させられ、16万人の市民が死んだ。

 

アメリカは、日本の降伏を許さず、最後の最後まで、日本人に痛みを与え、二度と立ち上がれないように虐待し、十分に飢えた後で、食糧を与えた。限界まで調教を施し、職とお金と安全を与えた後で、キャデラックと電気冷蔵庫とディズニー・アニメ、ジャズと映画とコカコーラ、ステーキとシャンパンとクリスマス・ケーキで「アメリカは素晴らしい!」と洗脳したのだ。

実に、巧妙であった。

 

ABCD包囲網、ハルノート。

当時の〝侵略者〟日本を日米開戦へ向けて追い詰めるアメリカの戦略は、断固とした徹底的なものであった。

その結果、あまりにも多くの命が失われた。

そして、アメリカは、それを、今度は、ロシアに対して、行おうとしている。

今度は、戦わずして勝つ。アメリカ人の血は流さない。

ニュー・スタイル・ウォーで、ロシアを滅ぼすのだ。

ウクライナは、そのための生贄である。

 

 

 

プーチンも、ゼレンスキーも、早く戦争を終わらせたがっている。

部外者のふりをして、火の粉が及ばない外から罵声を浴びせて、それを邪魔しているのがバイデン。

日本は、そのバイデンにピッタリくっついているが、安心していると、そのうち、梯子を外されるのではないかと、私は危惧している。

 

我々は、今、岐路に差し掛かっているのかもしれない。

我々が、今、見ているものが、どんな結末に辿り着くのか、まだ誰にもわからない。

だからこそ、なおのこと、隠れている悪意を、見過ごすわけにはいかない。

その悪意を見過ごせば、もしかすると第三次世界大戦を招くかもしれないのだから。

今回、その隠された悪意を、不気味なまでに見せつけたのは、実はロシアではなくアメリカだ。

世界の半分は、アメリカの悪意を、見ている。

 

英米中心の西側諸国連合と、中露印などアジア・アフリカ連合との対立構造が、ゆっくりと、だが、鮮明に浮き彫りになってきた。

西側風のリベラルな「自由と民主主義」を絶対視する人々と、必ずしも民主主義や自由を絶対視しない人々との対立とも言えるだろう。

繰り返すが、この対立が、英米の勝利に終わるかどうか、今の時点では、誰にも分からない。

 

「だからこそ、ロシアを叩かねばならない!」と主張する人々がいる。

だが、私はそうは思わない。

ロシアを叩くより、今、戦争を終わらせる方が、100倍大切だと私は思う。

そのためには、外部の人々が、ロシア、ウクライナ、双方のナショナリズムを、いたずらに煽ってはならない。

私たちは、今、西側のプロパガンダの真っ只中にいるが、報道によって、どれほど煽られようとも、「悪魔の所業を行うロシアに正義の鉄槌を!」と、短絡的に懲罰思考に陥ってはならないのだ。

 

今、ロシア軍の民間人虐殺を糾弾する声が、西側で高まっているが、これが、そもそもおかしい。

戦争、特に地上戦、さらに市街戦となれば、史上、民間人の虐殺を伴わない戦争はないのだ。これは、当然、予想されたことだ。戦争とは、そういうものだからだ。

これまでの戦争では、はるかに広範囲に、大規模に、民間人の虐殺が繰り広げられてきた。第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、イスラエル・パレスチナ紛争、イラク戦争、皆そうだ。

 

だからこそ、戦争は、起こしてはならないし、起こってしまった戦争は、何としても、早期停戦に持ち込まねばならない。

ところが、西側諸国、特にアメリカは、戦争の勃発に深く関わり、なおかつ、現在も、停戦の努力をするどころか、状況を放置し、あまつさえ、長期化を促してさえいる。

自ら(アメリカ)の責任を一切顧みず、すべて相手(ロシア)のせいにして、済まそうという自己都合の態度が顕著である。

 

 

 

 

〈備考〉

私のウクライナ戦争に関する上記の見解は、アメリカの言語学者ノーム・チョムスキーの「プーチンに〝逃げ道〟を用意しなければ、世界は想像を絶する悲劇を迎える」という見解と、ほぼ一致する。興味のある方は、チョムスキーのインタビュー記事を参照されたし。

また、今回のロシアによるウクライナ侵攻を予測したシカゴ大学の国際政治学者ジョン・ミアシャイマーの「ウクライナ戦争の原因は西側、とりわけアメリカにある」「ロシアを追い詰めるな」という主張に、私は賛同するものである。

したがって、私は、ロシアの誰の目にも明らかな〝強調される悪意〟よりも、日本では、ほとんど誰も口にしない、アメリカの〝隠された悪意〟を重視している。

 

 

 

 

〈資料〉

◆国連総会 ロシア非難決議

反対 5カ国▶︎ロシア、ベラルーシ、シリア、北朝鮮、エリトリア

棄権 35カ国▶︎中国、モンゴル、インド、パキスタン、バングラデシュ、スリランカ、イラン、イラク、アルジェリア、南アフリカ、タンザニア、コンゴ、中央アフリカ、ベトナム、キューバ、ボリビアなど。

賛成 141カ国

 

◆ロシアへの経済制裁

参加48カ国▶︎アメリカ、カナダ、EU全加盟27カ国、イギリス、スイス、日本、韓国、オーストラリア、ニュージーランド、シンガポール、台湾など。

※アジアでは、日本、韓国、台湾、シンガポールの4カ国のみ。

 

 

2022年2月24日に始まったウクライナ戦争が、侵攻から1ヶ月経った。

ロシア軍の攻撃で亡くなったウクライナの民間人の総数は、3月21日までの26日間の統計で、925人と国連難民高等弁務官事務所は発表した。

この1ヶ月で、およそ1000人の民間人の犠牲者が出ているということだ。

 

この数が、多いか少ないか、わからない。

ただ、太平洋戦争において、日本軍が真珠湾攻撃を行った時に、亡くなったアメリカ人の民間人の総数は、1日で68人だった。

この時、日本側は、軍事施設のみを攻撃目標とし、民間人の施設は、一切攻撃していない。それでも、68人の民間人が亡くなったのだ。

 

繰り返すが、ロシアのウクライナ侵攻の場合、26日間の攻撃で、925人が亡くなった。少なくとも、言えることは、ロシア軍は、今のところ、なりふり構わぬ市民への無差別攻撃は行っていないということだ。

 

ナチス・ドイツは、スペイン内戦で、史上初の航空機による市街への無差別爆撃(ゲルニカ爆撃)を行った。この1937年4月26日の都市爆撃では、1日で250人の民間人が亡くなった。

また、アメリカ軍は、第二次世界大戦で、ドイツのドレスデンに、広範囲の無差別爆撃を行った。この爆撃では、1945年2月13〜14日にかけて、一晩で18,000〜25,000人の民間人が殺された。

1945年3月10日の未明には、アメリカ軍による東京大空襲が行われた。1日で10万5000人の死者が確認されている。

アメリカ軍による攻撃で始まった沖縄戦では、同年3月23日から7月2日までの3ヶ月以上に及ぶ戦いで、民間人9万4000人が亡くなった。

さらに、同年の8月6日と9日には、広島と長崎に、それぞれウラン型とプルトニウム型の原子爆弾を、アメリカは落とした。人類史上、最初の、そして、唯一の核攻撃を行ったのだ。これにより、広島で14万人、長崎で7万人が亡くなった。

1965〜73年にかけて、アメリカ軍が侵攻したベトナム戦争では、10年近く続いた戦争で、ベトナム人の民間人が200万人亡くなったとされる。

2003年に、アメリカがイラクに侵攻したイラク戦争では、2007年までの5年間で、少なくとも80,000人の民間人が、アメリカ軍の攻撃(誤認・誤爆・誤射)によって直接殺害されたと言われる。

5年間で80,000人ということは、1ヶ月ならば平均で1,300人強ということになり、ウクライナ侵攻後のロシア軍による民間人殺害数と、ほとんど変わらない。むしろ、アメリカ軍の攻撃の犠牲者の方が多い。

 

こうしてみると、近代史上、戦争で、最も多くの民間人の無差別殺戮をおこなってきた国の一つは、間違いなくアメリカ合衆国である。そして、アメリカは、繰り返し、軍による民間人の大量殺戮を行いながら、今に至るまで、ほとんど国際的に激しい非難を受けずに済ましてきた唯一の国でもある。

ほとんどの日本人も、アメリカを、まったく反省しない大量虐殺国家とは考えていない。

そもそも、唯一の被爆国である日本よりも、唯一の核使用国であるアメリカこそが、核廃絶に向けて、世界でもっとも大きな義務と責任を負っていることは、誰が考えても間違いない。

そのことを問題とせず、「核を使用された日本人が、なぜ核廃絶に反対しないのか?」と日本人の方が、いちいち理不尽なことを訊かれる。

日本が核廃絶に調印しない理由など、誰の目にも明らかであるにもかかわらず、頻繁に、そのようなくだらない質問をされ、「日本こそが、世界で一番、核廃絶の義務を負っている」などと、意味不明なことを言われる。

日本のメディアは、自ら進んでアメリカの報道機関のコピーに徹する従順な報道機関ばかりなので、アメリカが言わないことは言わないし、アメリカが言うことは素直に広く報道する。

「アメリカが1番!」と洗脳されているのか、アメリカのリベラル・メディア(CNNとか)は常に正しいと思い込んでいるのか、ともかく、日本独自の視点というものがない。

 

日本人は、この状況に、違和感を抱かない。

繰り返すが、ロシアが虐殺しているウクライナの民間人の数と、アメリカが虐殺しているイラクの民間人の数は、まったく変わらない。

ロシアがナチと変わらぬ非道な虐殺者であると言うなら、アメリカもまたナチと変わらぬ非道な虐殺者である

こんな小学生でもわかる簡単な事実に、日本人はなかなか気付けない。

なぜ、日本人には、公平な見方ができないのだろうか?

それは、日本が、全面的に、アメリカに依存しているからだ。

そのせいで、メディアまで、CNNの日本支局に成り下がっている。

どんなにかっこいいことを言っても、所詮は依存する精神の自己正当化に過ぎない。

自立する大国は、もっと物事を公平に見ている。

 

日本が核廃絶に調印しない理由についても、日本のメディアがまともに論じているのを見たことがない。

しかし、それについては、ゼレンスキーに訊けばすぐ答えてくれるだろう。

それは、二度と誰にも、この日本に核攻撃をさせないためだ。そのために我々は、核抑止力を必要としている

非現実的な自己都合の妄想の世界に生きる共産党の抜け作・ボンクラどもを除けば、このことに同意しない日本人はいないだろう。

あとは、アメリカの核に頼るか、自前の核を持つか、そういう選択になる。それにしても、アメリカの核に頼ることの情けなさを、今、どのくらいの日本人が強く感じているだろうか。

そんなことすら、感じなくなっている親不孝者が、今の日本人ではないか?

 

ゼレンスキーは、アメリカで「真珠湾攻撃をただ、思い出してください」「無実の市民の上に敵の攻撃が降り注いだのです」と言ったのだから、日本では「ただ、広島・長崎を思い出してください」「無実の市民が、一瞬で、無差別に大量殺戮されたのです」と言うべきであった。

とは言え、実際のゼレンスキーの演説は、実に無難におとなしく何事もなく終わった。可もなく不可もない、まさに日本向けの演説であった。

彼は、本質を突く話が苦手で、オブラートに包んだような甘い話しか受け付けない日本人というものを、事前によく勉強していたようだ。

口先三寸で、世界中からお金を集めている男は、その辺の勘は鋭い。世間知らずの日本人を丸め込むなど朝飯前だったろう。