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ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 

 
♬あ〜がり目 さ〜がり目 ぐるっと回ってニャンコの目
 
フィンランドの「つり目」ジェスチャーのニュース記事を読んで、なんとも言えない気分になった。
 
イタリアにいてもよく起こりがちな事だ。
 
以前運転中の友人が、信号待ちの際、後ろの車のドライバーから、「つり目」のジェスチャーをされたので、「クルクルパー」のジェスチャーをして、やり返したら、すごいスピードで追跡され、怖い思いをしたと言っていた。今でこそ笑い話だが、当て逃げされた可能性もある。それで鞭打ちになんぞなろうものならとんでもない話だ。
 
「つり目」のジェスチャーをする人は、大抵「チネーゼ(中国人)」と言ってくるが、まずそういう人間は無知な人間だと思うようにしている。
 
しかし、そこでイタリア人で「日本人は目がアーモンド型だからね。」と言う人も多いが、擁護されたのかどうか?といっても、中国人に対しては、見下したようなものがあるのか?とさえ感じてしまう。逆に謝れたりして、日本大好き、日本最高!と言われたりするのも微妙。
 
つり目でなくても「ニーハオ」とか「チン・チュン・チャン」とか言ってくる。そういう時は、無視か「今日は〜」と言い返す。
 
少なくとも我が家の子供たちは、幼稚園時代から人種差別を受けたことは、そうそうないと思う。でもその方が珍しく、在イタリアでアジア人であることで、嫌な思いをした経験のある人は多いはず。コロナ初期、公共機関で咳をしたり、マスクをしていると嫌な気分であったと言う話もよく耳にした。
 
人種差別が起きる原因は、偏見や固定観念、無知や誤解など様々であろう。また、経済的・社会的格差や歴史的背景(植民地主義など)また、人間が持つ根源的な心理的歪み(不満のはけ口など)」などが複雑に絡み合うのだろう。
 
そして、根本的には他者への不寛容、理解不足、そして特定の集団を「自分たちとは違う」と見なす心理があるのだろう。
 
それは、日本人同士でも起こりえること。
 
「己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ」と孔子の教えにもあるが、聖書にも、
 
「…人からしてもらいたいことはなんでも、あなたがたも同じように人にしなさい。これが律法と預言者です。」(マタイ7ː12)
 
「自分が嫌なことは、ほかのだれにもしてはならない」(トビト記)など教訓となる言葉がある。
 
これは、どれも言葉の通り、自分がしてほしいと思う良い行いを相手にもすること、そして自分がされたくないことは相手にもしないという、当たり前のことなのだが、他人への配慮や共感に基づいた行動規範として、今も昔も非常に重要な指針であると思う。
 
差別のない社会を作るには、社会や組織での取り組みも大切だが、まず自分自身の偏見や固定観念に気づき、正しい知識を学び、多様性を尊重する意識を持つことが大切。自分が正しい。自分が優位だと思っていたら、絶対相手の立場になることは出来ないであろう。
 
ところで、「目は口ほどにものを言う」と言うが、威嚇・警戒・戦闘的な芽ではなく、視線も柔らかく、心満たされた平和な気分がうかがえる目でいたいもの。
 
2026年は、少しでも優しい、社会、世界となりますように。