我々の道場では、幼稚園生や小学生に向けた5つのお約束がある。
その中に、「道場の中ではおしゃべりをしません。ふざけません。」とあるが、子供たちには、口うるさく、「おしゃべりをしない!」「組手中、へらへらしない!怪我するよ!」「座る時は、壁にもたれない!正座かあぐら!」当たり前のことだが、口うるさく言うが、毎回注意される子は同じ。
そういう子は、型をやらせても、「構え」も「残心」もしっかり出来ない。常に目線は定まらず、あちこち触ったり、ぐにゃぐにゃする。
勝敗が決まっても油断せず,相手のどんな反撃に対しても対応できるような身構え,気構え、として「残心」がある。この気迫に満ちた静謐さが武道の美しさでもある、と思う。そして、勝っておごらず負けて悔やまず。常に節度ある態度を堅持する。これぞ残心。これぞ武道の精神。
子供だから出来ない、と言うわけではない。子供の門下生は、日本人、イタリア人、ハーフのみならず色々な国籍の子がいるが、子供でも、そして国籍関係なく、出来る子は出来る。
「残心」には戦った相手に対する敬意や道場内での意識、態度、所作も含まれている。道場へ入った時、そして道場を出る時の礼然り。
見学中は、上手い人の技を見て盗むんだよ、と伝えるが、なかなか響かない。見取り稽古というのは実に合理的な稽古方法だと思うが、実践は難しい。
やはり常に見てしまうのは、
体軸/足捌き/運足/間合い/キレ、強さ/残心
50代以上の女性になると、なかなかキレや強さが出せないが、身体操作、技術の正確性、そして武道的な気迫が融合して生み出される「優美さ」を求めたいと思う。それは、緩急、力の強弱も重要だ。
それは道場内のみならず。普段から体軸を整え、身のこなしから湧き出てくるものが養われると最近感じる。いきなり出来るものではないが、やはり心と体が一体とならなければならず、日常における平常心というか平静心とつながっていると思う。
ところで、宮本武蔵の「五輪書」の中には、「眼の付け様は、大きに広く付るなり、観見の二つあり、観の目強く、見の目よわく...」とある。
これは、相手の動きを「目」で見てから行動を起こすより、「観の目」つまり「心の目」で相手の動きや心理を良く観る事が大事だということを説いてる。しかし、相手の心を読む、ということはそうそう簡単ではない。(逆に私はフライングが多いかも?!苦笑)
今年から、トレーニングのメニューがきつくなり、特に鍛錬が厳しい。数種類の腕立て、拳立伏せや腹筋もかなり早いスピードだ。スクワットでは思わず、呻き声が出そうになる。「体の鍛錬」と共に「心の眼の鍛錬」。ああ、日々精進。
口うるさいおばちゃんだと思われているだろうが、心技体を鍛え、礼節を重んじ、自己鍛錬を継続することで心身の成長が図れれば…と思うが、なかなか難しい。
今日の一句
日々精進 昨日の自分 超えていく