ついに12月に突入。今年も残すところ1カ月を切ってしまったとは信じがたい。
毎年大晦日の夜、友人宅でワイワイガヤガヤ、NHKの紅白歌合戦を見ながら過ごすが、そのシーンだけがコラージュのようにつながり、脳裏を横切る。毎年早すぎやしないか?何年ものシーンがつい最近のように思えてならない。
…というわけで、「死者の月」と呼ばれる11月も昨日で終了。先月13日に帰天されたミラノ外国宣教会のアルベルト神父様は、29日に85歳のお誕生日であった。
生まれてから神学校へ入られるまで過ごされた地域の教会で、追悼ミサが行われあずかって来た。
ヴェルディが眠る養老院「カーザヴェルディ」の目と鼻の先にある閑静な住宅地だ。
地下鉄の乗り継ぎが悪く、微妙に遅刻してしまったが、既に座るところがないくらいお御堂は一杯であった。聖歌は、お年を召したイタリア人シスターや外国人シスターたちがギターの演奏で歌うモダンな感じであった。
第2の福音後、司祭はマイクを持って祭壇から信徒席の方に降りて来られた。まず初めにアルベルト神父様の経歴を朗読され、あとは親類にマイクを渡し、アルベルト神父様に対する感謝の気持ちや思い出が述べられた。
葬儀ミサで、よく親類知人が故人の思い出を語り合うことは多いが、一般のミサで?と不思議に思ったが、追悼ミサだからか…と思った。
しかし、その後も福音を黙想し、み言葉や神からのメッセージについて、感じたことや気づいたことなどを挙手し、マイクが回され共有するというミサとしては、変った共同的な祈りの場であった。(しかし、それでも今日は特別なミサだからか?と思ったが、実はそうではなく普段からそういうミサなのだそうだ。)
その後も、何か祈りがありますか?と言われたので、???と思っていたら、司祭は、そのまま信徒の間でマイクを持ちながら共同祈願を自ら唱えられた。
ところで、ミサ中、どうも友人のご主人に似ている人がいるな…と斜め前に座っていた男性を覗いてみていた。「平和の挨拶」では周囲の人と握手をし合うので、その時に、彼かどうか確かめてみよう!と思っていたら、彼はすぐに、アルベルト神父様の親類席の中のある夫妻のところで挨拶をしていた。それこそ知り合いの神父様の姪御さん夫妻であり、コロナ前では、よく日本人ミサにも参列して下さった方々であった。
その後、男性は自分の席に戻られ、振り向いたので、名前を言うと、おお!と言って私の手を取り甲にキスをするジェスチャーをされた。実は、彼はベルギー人とイタリア人のハーフで挨拶はいつも両頬にキスをするイタリア式ではなく、手をとり「なんと光栄な!」と言われるのであった。(しかし、教会で…!)
ミサが終わると、友人のご主人はすぐに姿を消してしまっていたが、アルベルト神父様の親類に聞くと、彼の事を聞くと、私の聞き方が悪かったのか、そんな人は知らない、と言われてしまった。しかし、夜に奥さんである友人から電話が入り、話していたが、彼らと、神父様の姪御さん一家とは、子供の中高が一緒で付き合いがあると言う事であったから、驚いた。世界はなんと狭いことか!たとえミラノは小さな町とはいえ、教会はミラノ大司教区は1000近くあるのだ。
その後、お御堂に残っていると、知らないご婦人に「日本人ですか?」と声をかけられ、アルベルト神父様との思い出や、この教会で日本人信者と出会えた喜びを伝えて下った。
また、司式司祭もご紹介していただき、平和を祈り、良い待降節を歩みましょうとお話した。
アルベルト神父様は、常に相手の話に良く耳を傾けられる方であった。そして、在日中3度もミラノ会の日本管区長を務められたということは、会員間での信頼や尊敬が篤かったことだろうと想像できる。
アルベルト神父様と知り合ったのは、病気でイタリアに帰国されてからであったが、彼を通じ多くの方々(しかも、ミラノと日本で!)とつながったことを嬉しく思う。
信仰、人間性、そして本物の宣教魂の貴重な遺産を残してくださったことに改めて感謝したい。


