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ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

物産展最終日。
 
とはいえ、私は午後からコンサートがあるため、前日に終了した。体は疲れたが、楽しい一週間であった。
 
「来年はどうする?」「そろそろ引退?」同年代の仲間と毎年そんな事を話すが、スタンドのオーナーが「来年もよろしくね!」とおっしゃり、こんなおばちゃんでもいいのかしら?と思うが、「一緒に年取ろうよ!」と…泣かせるね~。結局なんだかんだ彼の人間性に惚れて込んで皆付いて行くのだ。
 
レストランの方で週末のみ働いていた長女は、バイトの中では古株で、またかなりやり手で、オーナーにも可愛がられているようだが、大勢若いバイトがいても、(特に接客業は)「可愛くても、使えない子が多い!」と毒舌であった。逆に要領が微妙に悪かったり、陰で悪口をささやかれているスタッフには信頼を置かれているようであった。母としては、彼女を頼もしく思う。もともと私をこの物産展につなげたのは彼女である。娘に感謝だ!
 
余談だが、人事を担当しているイタリア人と話していたら、彼らの物産展初出店は2017年、4人で始めた小さなブースであったと知った(当時私は別のブースで仕事をしていた)。

徐々に出展規模を拡大し、2019年に長女を面接した時、面白い子だと思ったと言う。そして更なる規模拡大のため、ミラノで働ける日本人を知らないか?と聞くと「ひとりT子と言う人を知っている」と言ったそうだ。決して母親だとは言わなかったのだと言う。爆 そして私が履歴書を送り、面接をしたかどうかは記憶にないのだが、人事担当者は苗字が同じ?と不思議に思ったのだそうだ。笑 今やバイトだけでも50人のスタッフを抱える大所帯となり、アジア館では目玉のブースとなった。
 
彼女は、職場でも決して、私をマンマとは呼ばず、「T子」と呼び捨てし、なんなんだ?とも思ったが、彼女のところにやって来る本職の元同僚や友人には、私の事を指差して、なんやかんやニヤニヤしながら話しているようであった。(何をどう話していたのやら…)
 
と、またまた前置きが長くなったが、一日早く物産展の仕事を終了し、今朝は久々地元の教会のミサに出た。その後、チェントロで行われていた別の日本関係のイベントに出かけた。来年の干支をオーダーしていたからだ。
 

来年は午年。可愛すぎる!私は年女なので、赤いちゃんちゃんこを着せて頂いた!

 

 

大好きなUZUさんの商品。

 

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他の友人の出展者のブースにも顔を出し、サーっと挨拶をして帰宅。
 
改めてコンサートの準備のため早めに出かけた。朝からサンシーロでは、サッカーの試合があり、ちょうど終わった時刻で最寄りの地下鉄の駅は閉まっており、バスも渋滞で集合場所までかなり時間がかかってしまった。
 
ここ数日、コーラスのメンバーは、風邪やら家庭の問題など様々なハプニングで6名が欠席。一人やはり事件に巻き込まれ、泣く泣くキャンセル…と言うことだったが、急遽ドタ参、というばったばたの状況であった。

 

観客が目の前におられ、やたら声が響く会場であった。本番前の合わせで、コーラスが微妙に音が下がってずれた気がしたので、かなり緊張した。


素晴らしいチェロの音色と七変化する声の迷宮。

 

 

夏のコモでのコンサートではコモ市と十日町が姉妹都市であるため、コモの学生がデザインしたという浴衣を着させていただいたが、今回は自前の羽織に下は黒、という条件の衣裳であった。

 

 

ホーハイ節



アンコールの炭坑節。私は大きなタンバリンを太太鼓代わりに担当したが、叩き方も終わり方も全てアドリブで結構、と言われ、そういうのが一番困るのよ~。緊張したわ。

 

 
夏のコンサートに比べ、一緒に踊りに参加するお客さんは少なかったが、楽しかった。歌を歌うこと、楽器を弾いたり、叩くことも楽しい。来年はウクレレも活動復帰?!
 
終わりよければ全て良し。また歌いたい!