聖フランシスコの祝日 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで33年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

今日10月4日はカトリック教会におけるアッシジの聖フランシスコの祝日であり、現在は没後800年を記念する特別「聖フランシスコ年」(2026年1月10日~2027年1月10日)の只中にある。

聖フランシスコは、1182年の間にアッシジでジョヴァンニ・ディ・ピエトロ・ディ・ベルナルドーネとして生まれ、すべての物質的な財産を捨てて絶対的な貧困の生活を選び、平和、兄弟愛、そして被造物への愛を説いた。
 
1226年10月3日夕暮れにシくなり、翌10月4日に埋葬地へ遺体が移されたことから、10月4日が祝日とされている。
 
そして、1228年に教皇グレゴリウス9世によって列聖され、1939年にはピオ12世によってイタリアの守護聖人と宣言されたほか、動物と生態系の守護聖人としても崇められている。
 
今年は2026年は没後800年と言う事で、国民の祝日として再導入された。(1977年に当時の経済的理由で廃止)ただし、今年の10月4日は日曜日にあたるため、実際の休日としての運用や行事は主に翌年以降に引き継がれるようだが、世界各地のカトリック教会やフランシスコ会で特別な巡礼や祈りが捧げられた。
 
ミラノにはフランシスコ会の施設がいくつかあるが、その中の一つであるViale Piaveにある「イエスの聖心教会」でのミサに与って来た。
 
20世紀初頭(1906年〜1911年)に建築家パオロ・メッツァノッテの設計によって建てられた。ネオ・ロマネスクやリバティ様式などが融合したエクレクティック(折衷主義)様式が特徴。
 
1958年にこの教会の修道士であったフラ・チェチーリオによって、ミラノで最も重要な困窮者支援団体の一つである’Opera San Francesco per i Poveri’(貧しい人々のためのサン・フランチェスコ慈善団体)が設立された。現在も食堂や医療支援、シャワーの提供など大規模な慈善活動を行っており、ミサ後に食事に並ぶ長蛇の列を見かけた。ちなみに創設者のフラ・チェチーリオは教会内に埋葬されている。
 
また、この教会には、カプチン会ロンバルディア管区の教区本部、公文書館、図書室、およびカプチン会文化財博物館が併設されている。
 

 

 

 
ミサは、ローマ典礼で、もちろん聖フランシスコに捧げられた。

 

 

 

福音書は、マタイの11章25節から30節で、イエスが「疲れた者、重荷を負う者は私のもとに来なさい。休ませてあげよう」とすべての人を優しく招き、心に安らぎを約束する聖書の有名な一節であるが、聖フランシスコの祝日の福音として選ばれることが多い聖句だと言う。清貧へとへりくだり神への全託は、世の重荷や自分の力による思い煩いから離れ、主と共に歩むことで得られる真の安らぎを得られた。

 

フランシスコは社会的地位や富などすべてを捨て、自らを「小さき者」と位置付けられた。神の真理は、学識ではなく、純粋でへりくだった心に開かれることを彼は直感的理解したと言うが、その「委ねる」という「御心」を受け入れる喜び、が彼そのもののように思われる。

 

教皇レオ14世が 、フランシスコ会家族総長への手紙の中で、書かれた祈りが、葉書になっていた。

 

わたしたちの兄弟である聖フランシスコ。あなたは800年前に平和の人として、姉妹である死に会いに行きました。
主のみ前でわたしたちのために執り成してください。

あなたはサン・ダミアーノの十字架のキリストのうちにまことの平和を見いだしました。
十字架のキリストのうちに、すべての壁を打ち壊す、和解の源泉を求めることを教えてください。

あなたは武器をもたずに、戦争と無理解の境界を通りました。
世が国境を築くところに橋を架ける勇気をわたしたちに与えてください。

 紛争と分裂に苦しむこの時代に平和を実現する者となることができるように執り成してください。わたしたちがキリストからもたらされる、武器のない、武器を取り除く平和の証人となれますように。

アーメン。 

 

ところで、今朝はイタリア各地で、’Deejay Ten’なるスポーツイベントが行われており、ミラノは、サンシーロ地区が開催地であったようで、バスは待てど暮らせどやって来ず、急遽地下鉄で出かけたが、M5もM1もすごい人。ミサの2分前くらいに教会に到着したので、初めての教会だっが、中を見て回れず。後から、写真を撮っていたが、修道士に「閉めます」と言って、追い出されるようにして外へ出た。

 

こちらは、もう一人の聖フランシスコと呼ばれた聖ジュセッペ・ダ・コぺルティーノ(クペルティノの聖ヨセフ)とサンティアの聖イグナチオとベルゾの福者インノチェンツォ。フランシスコ会の伝統における3人の重要な人物であり、三者ともカプチン会に所属していた。

 

 

聖フランシスコのイコンの入った朗読台掛布。

 

 

十字架上のイエスを抱く聖フランシスコ。足元の地球儀は、キリストに従うために「地上の富や名誉、世俗的な欲望(=地球儀)を一切放棄する」という聖フランシスコの絶対的な清貧の誓いを象徴している。

 

 

また、お御堂には、聖フランシスコにまつわる話がイラスト画として展示されていた。
 
1182年の間にアッシジにて誕生。玄関のドアにはベルナルドーネ家と書かれているが、赤ちゃんが誕生した時に、門扉に飾る「フィオッコ・ディ・ナッシタ」には「ジョヴァンニ」と書かれていたが、バツをし、フランチェスコに書き換えられている。
 

 

1182年10月2日。自らの死期を悟って愛するポルツイウンクラへ戻り、最後の祝福を与えたり、パンを裂いて兄弟たちと分け合うといった最期の交わりを行った。

 

 

教皇が「聖フランシスコ」の名前をつけるのに、787年を有した。「ラウダート・シ」は、太陽の賛歌の一節「ラウダート・シ、ミ・シニョーレ(わたしの主よ、あなたはたたえられますように)」に由来しているが、教皇フランシスコによる2番目の回勅のタイトルでもあり、「共通の家である地球への配慮」という副題が付けられている。

 

 

アッシジにあるサン・ダミアーノ教会で、聖フランシスコは、「行って、私の壊れかけた家を建て直しなさい」という「神の声」を聴いて回心した。

 

 

サン・ダミアーノ聖堂の修復を皮切りに、彼はポルティウンクラ聖堂なども次々と修復し、やがて多くの同志が集まってフランシスコ会が創設された。

 

 

 

 

 

 

聖フランシスコは、簡素で平和と謙遜、そして普遍的な友愛の道を示している。

 

真の直感から生まれる笑顔は、表面的なものとは異なり、その人の魂の奥深くから湧き出る本物の輝きを持っている。また聖フランシスコは、社会の片隅に追いやられていたハンセン病の人や貧しい人々の中に、直感的にキリストの姿を見出した。そして、言葉を持たない小鳥や狼などの動物の心の叫びや、その場に「何が足りていないか」を論理を超えた直感的な感受性で察知し、愛と柔和さをもって接した。
 
ミサだけの時間ではあったが、聖フランシスコのことを知っているようで、全く知らなかったと感じた。
 
故教皇フランシスコもまた、「足りないものへの直感的な感受性」や「声を上げない叫び」に耳を傾ける姿勢を大切にされていた。
 
理屈や教条主義に縛られず、今目の前で苦しんでいる人のために何が必要かを直感し、行動する精神は、13世紀のアッシジの聖フランシスコから800年かけて伝えられている。
 

 

教皇レオ十四世 フランシスコ会家族総長への手紙―アッシジの聖フランシスコ没後800年にあたって
教皇庁内赦院 アッシジの聖フランシスコ没後800年の特別聖年に与えられる免償に関する教令