1945年8月6日、広島に原爆が投下されて81年が経った。
昨年、高市内閣の誕生や安全保障政策をめぐる議論を通じ、日本の平和や防衛のあり方に対する見方や受け止め方に変化が生じており、首相が何を語るのか?注目していた。
そして、広島・松井市長の演説は毎年の式典でも、核抑止力に依存し続ける世界の指導者たちに対し、核兵器のない世界へ向けた行動を促すメッセージを送り続けておられる。
>「日本政府には、日本国憲法が掲げる崇高な理想を深く自覚し、国際社会において名誉ある地位を占めるための歩みを止めないでいただきたい」「とりわけ、各国との分断や対立が生じかねない厳しい安全保障環境にあるからこそ、国民に犠牲を強いることのないよう、したたかで粘り強い外交に徹する中で、国際社会の平和と安定に向けて貢献し続けることを表明し、実行していただきたい」という言葉が続く中、中継映像は首相の表情を徐々にアップしていった。
首相は口を真一文字に結んだまま、まばたきを繰り返したり、目を閉じながら、うなずくようなしぐさを見せた後、目を見開いてまゆ毛が上に上がるような表情も見せたが、どうも心ここに在らず、に見えたのは私だけだろうか?
>為政者の皆さん、いつまで失望させるのですか?
世界は、「平和」からは程遠い道を歩んでいる。お互いを認める平和文化とは?世界中に多様な価値観や文化の違いを尊重し合う土壌を根付かせることが重要だが、明らかに今の日本はその逆を歩んでいるように思えてしまう。
また、若者にも、価値観の異なる人々との国境を超えた交流を深めるよう助言。嬉しさや楽しさ、夢や希望を共有も重要だ。続いて高市首相の演説があった。
一語一語、感情を込めて読まれていたが、その表現がどうも、心からの哀悼や責任を感じているようには感じられなかった。
また、
>「我が国は『非核三原則」を堅持しており、唯一の戦争被爆国として、核兵器のない世界の実現に向けた努力をたゆまず続けていく使命を担っている」と挨拶された。
非核三原則とは、核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」とし、小6の社会科で学ぶはずだ。
>「非核三原則を堅持しながら、『核兵器のない世界』に向けた国際社会の取組を主導することは、唯一の戦争被爆国である我が国の使命です」。1年前、当時の石破首相も広島の式典でそう語られた。
しかし、首相は、2024年出版の編著書に国民の命を守るべきか、非核三原則を守るべきかという究極の事態では「堅持する」という文言が邪魔になる、などと書かれている。。
太平洋戦争についても、議員一年生当時のものであるとはいえ、「当事者世代ではなく反省なんかしてない」。「平和を愛する諸国民を信頼」という憲法前文には「改憲の機会があればこのおめでたい一文を真っ先に変えたい」と発言され、すでに不信感満載だ。
国連事務総長アントニオ・グテーレス氏の代読としては、軍縮担当上級代表・中満泉さんが登壇され、>「分断ではなく対話、対立ではなく協力」と核兵器廃絶と平和な世界を築くため、信頼関係や国際協調の重要性が強く訴えられた。
多くの方が、この式典に参加され、中継を通じ、またはニュースを見聞きし、平和や自分自身の周りにある家族や友人を大切にし、一日一日をいかに生きるか、またその尊さを再認識されたのではないかと思う。
松井市長の訴えの通り、このままでは世界中で不信の連鎖が進み、欲望がむき出しになっていた第二次世界大戦の時代に回帰してしまう。核兵器の非人道性を軽視し、自国の繁栄のための武力行使を認めることは、暴力を伴う報復の連鎖を許容し、第三のヒロシマ・ナガサキを作り出すことになりかねない。
一人一人の祈りや語り継いでいくことも大切だが、平和を維持し、国民の命を守ることは為政者の最も重大な責任。
政治は常に国民の側に立ち、犠牲を強いることなく、対話と粘り強い外交によって平和と安定を追求し続けないといけない。



