五感が甦る私の原点  | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで33年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。


誕生日の翌日、帰国中の長男が、彼がミラノで働いているお店の本店へ連れて行ってくれた。




あいにく親方と知り合いの若手の板さん達は、皆イタリア・サルデーニャ島に出張中で不在で会えず。


食後、そこから生まれ育った大井町は電車で10分ほどの距離であったので思い切って出かけてみた。


まだ父が健在の頃、父は来なかったが、母と子供達を連れて思い出巡りとして、私が乳幼児の頃住んでいた家や近所を訪ねて出かけたことがある。また母の生まれ育った場所でもある。


確かに日記に記した記憶はありつつも、それがいつだったのか?自分で自分のブログに検索をかけてみたが、残念ながら見つからず。苦笑


京浜急行の大井町駅から見た大井町線の駅。画像右奥にあったイトーヨーカドーが左側に移転しており、駅の裏側には高層ビルが...。ただ高架下の商店街があるのは変わっていない。



子供の頃、大井町線の駅改札を出たところには、特製の玉砂利のような小石と栗を窯でじっくり焼き上げ、香ばしい甘い香りがする天津甘栗の屋台があった。


またその近くには、戦争で手足を失うなどした元兵士が、悲しい音色のアコーディオンを演奏し、生活の糧を得ようとしていた姿を鮮明に思い出す。子供心に戦争の傷跡を感じたものだ。




昔国鉄の官舎があった跡地は、大型複合施設になっており、この春オープンしたばかりと聞き驚いた。30年代、郷ひろみはあそこで幼少期を過ごしたそうだ。



10数年前、一度は足を運んでいるが、途中から記憶が怪しくなった。ただ頼りになるのは、現在の湘南新宿ラインだか?りんかい線、そして少し離れたところに新幹線が走っている、と言う記憶。


ちなみにJRは以前貨物が走っており、電車が通ると家が揺れたものであった。


この辺あたり...と思いつつ、どこもかしこも家が改築され全くわからない。ただ家の前は車も入れないほどの狭い通りで、迷路のような感覚があった。実際そのような通りも数本あったし、まず西品川4丁目だった住所も現在は3丁目までしかない。



乳幼児の頃かかったらしい小児科は、医師の子供の代になり歯科医院になっており、場所も近所だが移動したと聞いていたが、確かにその名前は見つけたものの以前の場所がわからず。(あゝ近くまで来ているのに!)



確かに地域は微妙ななだらかな道であったことを思い出す。ただこんなに細かっただろうか?新幹線までの距離はもっとあったような... 幼い頃の記憶は、視線が低かったのは当然だが、空間を測る脳が未発達で、きっと全てが大きく見えたのだろう。


それから、大井町駅の方へ戻った。生まれた病院は、2003年に廃院となっていた。現在は跡地に地域密着型多機能ホーム(保育園など)になっているようであった。


4歳の頃、現在母が住む神奈川県に引っ越したが、祖父母は私が中学生になる頃まで、品川に住み続けていたので、定期的に遊びに行ったし、1人で泊まりに行くこともあった。


大きくなって、祖父母の家に行く前か後に寄ったラーメン屋さんがあった。こんなところだったっけ?長男もへえ、こんなところがあるんだねえと言ってビデオを撮っていた。




食べてみたかったが、遅い昼食だったため空腹ではなかった。今では行列が出来るラーメン屋らしい。焦げたネギのスープの香りが甦った。



結局、生まれ育った場所は正確には見つけられなかったが、ここで育っていたらどうなっていたのだろう?と思ったりもした。


とはいえ、あの頃があったから、あの人がいたからこそ、「今の自分」がある。


原点を探るためには、現在はGoogleマップなど携帯電話ですぐ見る事の出来る便利なものが沢山あるが、やはり五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)に直接頼ることが大切。


生の実感、または共感覚的な刺激によって、甦る記憶と言うのは、自分の原点を振り返り、また歩み続ける意識の確認が出来たと思う。


そして、最終的には、明日のことを思い煩わず、今できることを精一杯生きる。結局これなんだろうなあ、と....。