共に生きる | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで33年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。



19人の命が奪われ、27人も負傷した障害者施設「津久井やまゆり園」の事件から10年。

逮捕された元職員・植松聖死刑囚は、犯行動機を「重度障害者は生きている価値がない」と語り、社会を震撼させた。

これは犯人の障害者に対する歪んだ優生思想や、偏見や差別的思考、そして社会的孤立もあったことと思う。しかも、10年経った今も考えは変わっていないと言うから、驚いたし、怒りや悲しみを感じた。

ところで、ミラノの我が家の前には、病院があり、その敷地内に重度の障害者の学校や、青年らのボランティアの場があり、叫び声や笑い声、活動している場を感じることが出来る。

イタリアにおける障害者との関係は、完全統合の理念が根付いており、法律に基づくインクルーシブ教育や社会的協同組合による就労支援が特徴。

障害名や重さに関わらず、必要な支援を行う体制が整えられており、子ども同士が自然に支え合う環境が作られているのだ。

日本はどうだろうか?

犯人が歪んだ優生思想が引き起こした悲劇ではあるが、「生産性」や他者からの有用性で命の価値を測る風潮が、日本は強いように思われるのは私だけだろうか?

小さい頃から競争社会の中に生き、過度な比較や競争が不安や孤立感、慢性的な疲労を招いていないだろうか?多様性を掲げつつ、外国人排除や弱者への不寛容が生じる背景には効率性や経済的利益を優先する風潮、社会的不安やリソース不足から来る自己防衛意識..あまりにも生きづらい社会だ。(と海外にいるとそう見えてしまう。)植松死刑囚だけの問題ではなく、心の闇はを多くの人の中に蔓延っているのではないか?

自分だけが優生であればいいわけではない。他者のことを想像することのできない社会は、とても貧しい社会だと思う。

他者=自分とは異なる誰か、にも、喜びがあり、悲しみがあり、大切な人がいて、かけがえのない日常がある。そういったことを想像する力を、私たちは決して忘れてはいけない。

津久井やまゆり園で犠牲になられた方々の皆さまに、心より哀悼の意を捧げます。そして、お一人お一人の尊厳と人生に思いを寄せ、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。